bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

大田由紀夫著『銭躍る東シナ海』を読む

最近になって中国や朝鮮半島との「関係」の中で、日本の歴史を論じる本が増えてきたようである。日本の歴史が孤立しているわけではないのに、隣接の地域との関連で論じない傾向にあることにずっと疑念を抱いていた。最近の流れはこれを打ち破るもので歓迎している。

大田由紀夫さんの『銭躍る東シナ海』の書籍もこのような一冊で、啓蒙的な本である。15世紀から16世紀にかけての東シナ海に位置する国々の関係、すなわちそれぞれの地域の政治・経済・社会の活動に及ぼしていく相互的な関係について論じている。ここでの相互関係を、彼は「共進化」と特徴づけている。この言葉は他から引用されたもので、元々は塩沢由典さんが『経済学の現在1』の中の「複雑系経済学の現在」で使った用語である。そこでは、共進化とは「進化するものどうしが相互に関係をもって、他の一定の進化がなければ、自己の進化自体が成立しないとき、このような進化関係」と定義されている。

物理学者のカルロ・ロヴェッリさんは、世界を対象物(モノ)ではなく関係(コト)で論じようと提案した。対象物は刻々と変化し一定ではない。変化の元となっている関係でとらえるのが良いというのが彼の考え方であった。大田さんの今回の提案は、ロヴェッリさんの考え方に似ていて面白い。

この本で紹介されている通り米国の社会学者のウォーラステインさんが15世紀以降の資本主義的世界経済を説明するときに、それぞれの地域がそれぞれの機能を果たすシステムとなっているという理論を打ち出した。科学的にとらえようとする興味ある見方ではあるが、それぞれの地域の役割が機械のように固定化されていて窮屈に感じた。これに対して、大田さんの共進化は、ダイナミックに変わっていく様子が、明瞭に記述されていて、素晴らしいと思った。それでは大田さんの本を紐解いていこう。

14世紀に日本・中国・朝鮮とも政権が変わり、それぞれ室町幕府・明朝・李氏朝鮮となった。明朝初めの頃は、前期倭寇が活発に活動していたので、明朝は海賊防止と密貿易の取り締まりのため、初代皇帝の洪武帝は海禁令(1371)を発する。日本との交流は、朝貢の形式をとった勘合貿易(1404)として行われ、3代将軍足利義満(1358-1408)の治世が全盛期であった。海禁=朝貢システムが最も機能したのは3代皇帝永楽帝(1360-1424)のときで、鄭和艦隊を南海に派遣(1405)するなどして朝貢国は60国に及んだ。しかし永楽帝が没すると、モンゴルの脅威に備えての北辺防備に迫られるなか、朝貢貿易に対しては経費削減へと転換を余儀なくされ、15世紀半ばより朝貢貿易の衰退とともに密貿易が盛んになる。

15世紀後半になるとこれらの国々では、同期しているかのように、奢侈的消費に走るとともに、明-東南アジア・明-朝鮮・日本-朝鮮の間での交易が盛んになり、さらに琉球では日本・中国・東アジアの仲介貿易が活況となる。


このような状況を生み出した要因は:➀明朝での土木の変(1449年に明朝正統帝がオイラト指導者のエセンに敗北して捕虜になった事件)の後に生じた体制の変化、②遊牧民族侵入の防御策として、首都を南京から北京に移し、南北間での交流・物流を増加させ、軍事費の増大など、大きな社会変化、③日本での応仁の乱(1467-77)の乱により、京都に滞在させられていた大名が領国に帰り、その拠点に都市が生まれ、領国経済圏が生まれたこと、である。但し、日・明間の直接交流は遣唐使船が10年に一度と限定されたためそれほど高くはなく、日本と中国・東南アジアとの交流は、琉球の中間貿易によって間接的に支えられた。日本・明ともに政権の力が弱くなり分権化が進行するが、かえって国内での交易が活発になり、さらには密貿易・中間貿易も盛んとなって、政情の不安定とは裏腹に奢侈化した。

国内での交易が活発化するに伴って、貨幣(朝鮮ではそれに代わる布)での需要が高まり、良銭だけでは賄いきれなくなる。これを補うために悪銭が大量に流通する。しかし揀銭・撰銭に見られるように、良銭と悪銭の間には流通価値に差を持たせて使用された。

16世紀になると、密貿易に絡んでの暴動・紛争が目立ち、さらにはポルトガル人の東アジア・南中国での交易拡大による事件も多発する。このため明は抽分制(市舶司による密貿易を含む諸外国船に対する税金の徴取)を廃止するなどの海禁政策の厳密化をしたため、東アジアの交易は不振になった。これに伴い、琉球の中間貿易は衰退し、以後復活することはなかった。

沈滞を打ち破ったのは倭銀の登場(1520年代)で、再び密貿易は活発になった。倭銀の登場により、日・明間の密貿易が隆盛となり、明との関係が希薄となっていた日本の地位は劣勢を挽回した。
日本では再び、貨幣の間で流通価値に差を持たせた撰銭が行われるようになる。しかし貨幣に対する需要度合いが地域によって異なり、京都を中心とした地域では高く、流通銭の質低下を招いた。このため安定を求めて、米を貨幣として使用するようになった。

明は再出現した倭寇の鎮圧を進めた。このため倭銀の密貿易は中断された。鎮圧のあと明は倭銀に代わって新大陸銀を使用するようになり、日・明間の貿易は低調を続けた。

このあと、日本では徳川将軍による江戸時代となり、中国では明朝は清朝へと変わり、それぞれ独自の道を歩むこととなり、共進化は長い期間停滞した。

日本の歴史を、世界の歴史との関連で、特に東アジアとの関係で論じることが重要になってきているが、それを妨げているのは、日本語、中国語、韓国語、英語、オランダ語ポルトガル語などの多様な言語で記述されている大量の史料、論文、書籍を解読する能力である。一つの外国語の習得だけでも大変なのに、それがいくつもとなると個人の力では不可能に近い。それを支えるのは国際協力であり、先端技術の利用であろう。幸いなことに、AIによる翻訳はかなりのレベルのところまで達しており、歴史の分野で利用することも可能である。さらには多量の資料をデータベース化することで、データサイエンスの技術を利用できるようになる。最先端の科学技術を利用して、歴史学も「関係」の中で論じてくれるようになると、さらに興味深いものとなり、歴史学に対する関心も深まるとこの本を読んでいて感じた。