bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

十日町市博物館であまたの国宝土器を鑑賞する

さて、今回の旅行の本命中の本命、国宝土器の見学である。縄文時代の遺品で国宝に指定されているものはそれほど多くなく、土偶5体とここ笹山遺跡出土の深鉢形土器だけである。土偶は個体ごとの指定である。しかし、深鉢形土器は笹山遺跡で発掘された土器類のセットで、これには火焔型土器を含む土器・土製品、石器・石製品、ベンガラ塊が含まれ、全部で928点である。国宝に指定されたのは平成11年(1999年)である。指定土器は、火焔型土器14点、王冠型土器3点、これらを含む深鉢形土器57点であった。さらに浅鉢形土器4点も加わる。これらはすべてを博物館のホームページで見ることができる。今年の夏は、さらに嬉しいことに、実物をすべて見ることができる企画展が開催されている。とはいっても前期と後期に分かれているので、それぞれでは半分しか見ることができない。それでも国宝をこれだけたくさん見られるという機会はそうそうあるものではない。

それでは見ていくことにしよう。まずは単独でガラスケースに収められていた火焔型土器である。見事な作品で、頭部の焔が壮大、胴体の上部・中部の渦巻き状の幾何学模様も美しい。下部はすっきり控えめで、頭部に輝きを与えている。

3点とも火焔型土器である。いずれも頭部の焔は大きな造形で芸術的である。上部・中部は右の2点は似た模様で、左は少し工夫を凝らしている。下部のつくりは同じように控えめの縦模様である。

左から火焔型土器、王冠型土器、深鉢形土器である。火焔型土器は、先のものと同じような傾向である。これに対して王冠型土器は頭部が簡素化され、胴体部分が賑やかである。深鉢形土器は、火焔型・王冠型土器を作成する前の学習段階の作品のように見える。

いずれも深鉢形土器である。左の二つは頭部への工夫が感じられ、右は胴体上部に複雑な模様が描かれている。

いずれも深鉢形土器で、今まで見てきたのから比較すると素朴な感じで、実用に徹したのではと思える。

やはり深鉢形土器である。左右の2点は前と同じように素朴な感じを受けるが、中央はこだわりの作品で、胴体の曲線と凸部に工夫がみられる。

これらも深鉢形土器である。左側は実用に徹したのだろうか、それに対して右の2点は頭部に注目し始めているように見える。

深鉢形土器である。頭部に工夫をこらし始めている。

左は深鉢形土器で、首の部分が閉まっているのが特徴である。右の二つは浅鉢形土器で、実用的な道具なのだろう。

これらの土器を比較すると、火焔型土器のユニークさが際立つ。縄文時代の美の極致とも思える。これらを見ていると、レビ・ストロースさんの『野生の思考』を思い出す*1。古代の人々は我々現代人に劣らない思考を有していたとレビ・ストロースさんは主張している。文明の発展は近代科学によってもたらされたと我々は考えがちだが、古代の人々は「具体の科学」によって我々に劣らない文化を築いたとレビ・ストロースさんは言う。

彼らの思考法は、身近にあるものを感覚的に抽象化し、それを別の物に具体化していく思考法である。例えば、雨が降ると水たまりができる。これから凹んだところには水をためることができると感覚的に抽象化する。また、ぬかるみの泥は乾くと固くなるということを感覚的に抽象化し、土の塑性を利用して様々な形のものをつくれることも理解したであろう。この二つを組み合わせて、土を用いて水をためるような容器の具体化を試みたことだろう。失敗の連続だったかもしれないが、土に熱を加えることでさらに硬い容器が得られることを知って、さらに具体化をしたことだろう。また、花びらを見てそこに幾何学的な連続性を見て、感覚的な抽象化をして、それを土器に具体化してみるということもしたであろう。このような思考法は、生活のあらゆる面で活用されていたとレビ・ストロースさんは見ている。さらに、万物の黎明を表したデヴィッド・グレーバーさんとデヴィッド・ウェングロウさんは、土器や土偶の実現は女性の力であることを強調している。原始以来ずっと男性優位な社会であったと考えられがちだが、原始の時代には女性によって文化が築かれていることを強調している。

少し哲学的なことを考えながら火焔型土器の見学を楽しみ、色々と収穫が多かったと感じて、中学時代のクラスメートが待つ飯山線豊野駅へ向かった。飯山線は、長岡と長野を結び*2信濃川千曲川に沿って山間部を走る風光明媚な路線である。十日町駅からの列車、

この辺は魚沼産コシヒカリで有名な場所である。

前の日の雨で増水した信濃川、長野県側に入ると千曲川と呼ばれる。

夕方から始まった同級会。個人的に話していたときは、話題もそれなりにあって楽しんでいたのだが、全員になったとたん疎外感を味わった。それもそのはずで、私との付き合いは2年しかないが、彼らは幼いころからずっと今日までの付き合いである。出てくる話題もローカルで、しかも、どれだけ詳しく知っているかを競っている。民俗学者宮本常一さん*3が地域の人の話題を聞いているのと似ていると感じ、宮本さんと同じ立場で彼らの話を聞くようにしたら意外と楽しめた。さらにこの術を磨くと、昔の人々の世界にも飛び込めるのではと思ったりもして、一日を楽しんだ。

*1:平凡社『改訂新版 世界大百科事典』より「野生の思考」の項目を抜粋すると、「フランスの人類学者レビ・ストロースの著作。1962年に公刊されると,たちまち多くの論議を呼び,現代西欧思想史の画期となった〈構造主義〉の時代の幕明けとなった。本書で彼は、トーテミズムなどにみられる未開人の心性と思考を、近代科学的思考と異なる非合理的なものとみる旧来の偏見を批判し、豊富な民族誌的資料と明晰な構造論的方法によって、それが〈野蛮人の思考〉ではなく、〈栽培思考〉(文明化した思考)に対する〈野生の思考〉であって、それ自体精緻な感性的表現による自然の体系的理解の仕方であり、〈具体の科学〉であることを明らかにした。それは、西欧の自己中心主義的認識原理と歴史観の批判・反省を喚起し、サルトル哲学の批判を含む60年代の西欧思想の転換に決定的な影響を与えた。またレビ・ストロース自身にとっても、本書はより本源的な神話的思考の探求の序章となった」と書かれている。

*2:正確には、飯山線越後川口と豊野間である。

*3:山川・日本史小辞典には次のように紹介されている。宮本常一(1907~1981)は昭和期の民俗学者山口県出身。大阪にでて、小学校教員のかたわら民俗学の道に入る。1954年(昭和29)上京、渋沢敬三のアチック・ミューゼアム(日本常民文化研究所)に入り、全国各地への旅を続ける。柳田国男民俗学とは一線を画し、非農業民を含めた常民文化の特質を追究した。とくに海からの視点をもち、離島振興に努めた。膨大な旅と、郷里で体験した生活記録を背景に、「忘れられた日本人」「家郷の訓(おしえ)」など数多くの著作をまとめた。奇遇だが、NHKの『100分de名著』で今月紹介されていることをこの記事を書いた後に知った。