bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

東北城柵巡りの旅 東北歴史博物館

多賀城跡を訪ねた後、国府多賀城駅の反対側にある博物館に寄った。遺跡に隣接しているので、その関連の遺物を紹介しているのだろうと予想したが、そうではなく、東北地方の歴史を全般的に網羅していた。写真を中心にして、紹介していこう。

東北歴史博物館の全景。コンクリート壁の大きな建物が、工場のように感じられた。

縄文時代の漆を塗った太刀や弓。復元なので、漆の色も艶も鮮やかで、受ける感じがだいぶ違う。

縄文時代の土器など。上段から遮光器土偶、中段には石・骨・ヒスイによる造形品、下段は土・岩製品の仮面・偶など。遮光器土偶なども制作時のように彩色されていれば印象はずいぶん違うことと思う。

古墳時代の墓。会津大塚山古墳から出土の木棺、丸太材を二つ割にして内部をくりぬいて身と蓋を作った。復元だが、リアルに近い古代の木棺を見るのは初めてで、なるほどと感じた。

古墳時代の𤭯(はそう)を持つ女性の埴輪。長いこと𤭯は何に使われていたのだろうと思われていたが、𤭯を持つ埴輪が見つかったことから、祭祀用となっている。本来の埴輪は彩色されているので、やはりこれとはずいぶん違って見えることだろう。

古墳時代の馬具、刀、須恵器。鉄がもたらした威力はすごいと認識させてくれるのが、この時代の遺物である。

古代の地方役人。行政は文書主義で行われ、その後の文字文化の発展に大きく貢献した。

古代の多賀城創建時の瓦。左上だけが複製である。

多賀城廃寺跡からの土器と泥塔。左上は藤原押勝の乱の後、称徳天皇の命により造られた百万塔である。古代は、仏教による鎮護国家であったことを地方の廃寺が強調してくれる。

古代の祭りの道具。土着の宗教を表す遺物で、仏教と融合していく。

古代の土師器と鉄製品。

古代の朝廷と蝦夷の戦いで使われた武器。異なる文化の境界では戦争が起こりがちであることを知らせてくれる。

中世、中尊寺仏教関連の遺物。これらは、都にも劣らない文化が東北平泉に開花したことを知らせてくれる。金字宝塔曼荼羅図、

中尊寺の金銅華鬘と金銅釈迦如来像御正躰、

中尊寺金色堂内陣柱。

中世の大型板碑。中世には仏教は大衆化し、地方の有力者は板碑や五輪塔などを建立した。

近世、石巻の風景。近世になると交易がとても盛んになり、石巻も例外ではなかった。

近世の仙台藩細谷十太夫戊辰戦争で着用した陣羽織。戊辰戦争は東北地方は過酷な試練の時であった。

近現代の北海道移住の様子と太政官高札、

近現代のお人形様、村の境を守ってくれる。

近現代の厄神様。もちろん厄除けの神様である。

近現代のヤマハゲとアマハゲ。どちらも怠け心を戒め、厄災を祓い、豊作や豊漁を祈願するときに使われる。

江戸時代の城下町・仙台のジオラマ

応援展示の上野三碑、左より山上碑・多胡碑・金井沢碑。中国では、歴史の記録や土地の紹介、権威の誇示、慰霊や追悼などの目的でたくさんの石碑が建てられているが、日本では多くはなく、かえって珍しい。他には、栃木県大田原市那須国造碑、京都府宇治市宇治橋断碑が知られている。

博物館の外に展示されている今野家住宅。明和4年(1769)に建てられ、今野家は桃生郡橋浦村の肝入であった。

馬屋としても使われた中門、

堂々とした母屋、

畳の部屋は役人を迎えるために使われた。

台所の床が竹製であるのは珍しい。

柱にお面が飾られている。

雪の重みに耐えるために、屋根の柱は特別な造りで、角に補強柱が入っている。。

仙台の繁華街の一つであるクリスロード商店街。

なんとここに三瀧山神社がある。最後にびっくりさせられた。

多賀城跡見学後の残された時間を、博物館や仙台駅周辺で楽しみ、迎えに来たバスで今夜の宿泊地の秋保温泉へと向かった。