bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

東北城柵巡りの旅 盛岡・レトロ建築

盛岡市のホームページを漁っていたら、ニューヨークタイムズ紙で「2023年に行くべき52か所」の中の2番目に盛岡が選ばれたという記事を見つけた。1位はロンドンで、その理由はチャールズ国王の戴冠式があるからとあった。では、なぜ盛岡がこの次なのだろう。クレイグ・モド*1さんのニュースレターがものをいったようで、そこには「…山々に囲まれた盛岡市は、日本の高速鉄道新幹線で東京から北へ数時間。市街地は街歩きにとても適している。大正時代に建てられた西洋と東洋の建築美が融合した建造物、近代的なホテル、歴史を感じさせる旅館(伝統的な宿泊施設)、蛇行して流れる川などの素材にあふれる。城跡が公園となっているのも魅力のひとつだ。…」と紹介されている。

それではさっそく散策に出かけよう。今回のコースは、下図のように、盛岡城跡を出発点(右の赤いマーク)とし、明治・大正時代のレトロな建物を見学して、北上川、そして盛岡駅(左の赤いマーク)を終着点としている。

盛岡は、江戸時代は南部氏が治め、その居城はこの地にあった。城の構造は連郭式平山城であったが、建造物は明治初期に解体された。現在の盛岡城跡は、近代公園の先駆者・長岡安平*2の設計によって、明治39年(1906)に岩手公園として整備された。そして、平成25年(2013)に盛岡市は「史跡盛岡城跡整備基本計画」を策定した。盛岡市ホームページによれば、次の鳥観図のように整備される予定である。

今回、この鳥観図の左側の入り口から入り、本丸にたどり着いた後、図上部の二の丸、三の丸を通り、右側の川に抜けた。
本丸南西部の石垣。

本丸跡。日露戦争で戦死した南部家第42代当主・南部利祥(としなが)の騎馬像が明治41年(1908)に建てられたが、太平洋戦争中に金属供出で持ち去られ、台座しか残っていない。

先に説明した基本計画に基づいて、本丸跡の発掘調査が行われていた。

二の丸にある啄木歌碑で、「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸われし十五の心」と記されている。少年時代の啄木が、学校の窓から逃げ出し、文学書、哲学書を読み、白日の夢を結んだのが、この二の丸とされている。

二の丸の石垣。

鶴が池。かつては盛岡城の内堀だった。

啄木・賢治青春館(旧九十銀行)。旧第九十銀行本店本館は、明治43年(1910)に竣工、設計は盛岡出身の若き建築家横濱勉である。構造は、煉瓦造2階建、正面から見て非対称、屋根はドーマー窓で、建物の隅石や入口・窓のアーチは川目産の花崗岩の切石で飾られている。開口部の石造アーチやスレート葺の寄せ頭頂部にあるトンガリ屋根等により、ロマネスク風の雰囲気と簡略化されたモダンな気品を同居させている。次の大正期の流行を先取りしたデザインでもある。現在は「もりおか啄木・賢治青春館」として公開されている。石川啄木宮沢賢治は盛岡で青春を育んだ。館内には二人の業績を示す展示があった。

岩手銀行赤レンガ館。この建物は、明治44年(1911)に盛岡銀行の本店として落成し、昭和11年(1936)に岩手殖産銀行がこの建物を譲り受け、昭和58年(1983)に岩手銀行新社屋完成に伴い中ノ橋支店となった。東京駅で有名な辰野金吾が設計し、東北地方では唯一残る彼の作品である。平成24年(2012)に銀行としての営業を終了し、平成28年(2016)より一般公開されている。赤煉瓦造りに緑のドーム、外観はルネッサンス風の輪郭で厳格さを表現している。

銀行の内部。音楽会の準備中だった。

天井が高いのが特徴である。

盛岡信用金庫。盛岡出身の葛西萬司の設計で、昭和2年(1927)建造の旧盛岡貯蓄銀行である。1階から2階まで伸びる太い円柱は重厚感がある。昭和初期のモダンな表現と近代的デザインの流れをくんだ建物である。

銀行正面。

ござ九・森九商店。江戸から明治時代の古風な商家のたたずまいを、瓦、格子、ガラス戸が伝えてくれる。

紺屋町番屋。明治24年(1891)に盛岡消防よ組番屋として建てられ、大正2年(1913)に消防組第四部事務所として改築された。建物は、木造2階建で花崗岩の石畳である。

櫻山神社。江戸時代中期、盛岡藩第8代・南部利視により盛岡城内に建立された神社である。

開運橋。盛岡駅と市の中心部を結ぶ重要な橋である。別名「二度泣き橋」である。転勤で盛岡に来た人が「遠くまで来てしまった」と泣きながら渡り、住んでみると盛岡の人の温かさと優しさに触れ、去る時は「離れたくない」と泣きながら渡るというのが由来だそうである。盛岡は、きっと単身赴任者の多い街なのだろう。

岩手山。開運橋から北上川越に見る岩手山が好まれる風景なのだが、あいにく曇っていたので、次の日の朝、ホテルから窓越しに撮影した。

次の訪問場所は今回の旅の本命の多賀城である。それを前にして、息抜きと言っては盛岡に失礼になるが、クレイグ・モドさんの推薦にたがわない素晴らしい市街地を楽しく散策でき、大いに英気を養い次に備えることができた。

*1:クレイグ・モドさんは作家であり写真家である。著書には「Things Become Other Things」(2023年)、「Kissa by Kissa: 日本の歩き方」(2020年)、「Koya Bound: 熊野古道の8日間」(2016年)、「僕らの時代の本」(2015年)、そして「Art Space Tokyo」(2010年)などがある。特に、2016年にライカカメラとのコラボレーションによって出版された『Koya Bound』は、『50 Books/50 Covers』のデザイン賞を受賞した。

*2:長岡安平は、明治から大正にかけて活躍した造園家で、楠本正隆にその才を見いだされ、東京の芝公園、秋田の千秋公園、福井の足羽山公園など全国各地の公園や庭園の設計、街路樹苗木の育成、史跡名勝天然記念物の保存に尽力した。