bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

沖縄:グスクを訪れる

姪の結婚式が8月8日に沖縄であった。最近は、入籍してから、結婚式を挙げるのが普通になっているようだ。以前であれば、結婚式を挙げた後は新郎・新婦はハネムーンへと旅だってしまうので、その後の旅を彼らとすることなどは考えられなかった。しかし、最近は、結婚式とハネムーンはセットになっていないことが多いようで、結婚式後に取る休みを利用して、色々な楽しみ方をしているようだ。今回の場合は、親族たちと一緒に過ごすことが大きな目的だったようで、観光客に人気のある場所に、新郎と新婦が自ら我々を案内してくれた。結婚式の習慣が、有り難い方向に、変化してくれたことに感謝して、沖縄を楽しんだ。

その中にグスクの観光が含まれていた。グスクは、今年になって古代史を学び始めてから、意識するようになった言葉である。それまでもどこかで教えてもらったことがあったのかもしれないが、残念ながら、覚えていない。古代史のなかで、沖縄では採集漁労文化が(稲作文化を受け入れないで)平安時代に並行するグスク時代まで続いた、と学んだ。

グスク時代は、11あるいは12世紀から始まり、琉球王国が誕生する15世紀前半あるいは16世紀までとされている。グスクは城を意味する。そして、グスク時代は、採集・漁労の時代から農耕時代へと推移し、奄美諸島から先島諸島にかけていくつもの城が設けられている時代をさしている。

中山世譜』などの史書によると、一組の女神と男神琉球の島々を造り、天帝子が三男二女を設け、長男は王(国君)のはじめとなり、次男は諸侯(按司)のはじめとなり、三男は平民(百姓)となったとされている。

上の記述は伝承であるが、実際の歴史の中では、農耕社会が成立した12世紀頃、按司琉球諸島の各地に現れ、グスクを拠点にして、地方豪族となった。やんばるロードネットではグスクの場所を示している。
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14世紀には、按司を束ねるような強力な王が出現し、北部の北山、中部の中山、南部の南山の三王国が並立する時代が100年続き、いずれも中国の明朝に朝貢する(冊封となる)。
15世紀にはいると、佐敷の按司が中山、北山、南山の順で王国を滅ぼし、沖縄諸島奄美群島を制圧し、統一王朝を確立する。この王家は第一尚氏と呼ばれる。この王家は7代まで続く。

1469年には、重臣であった金丸がクーデターによって王家を乗っ取る。この王家は第二尚氏と呼ばれ1879年まで続く。この王朝は、進貢貿易(明および清との)を中心にして中国、日本、東南アジアと広く交易し、全盛期を迎える。1609年には薩摩藩の侵攻を受け、実質的な支配下にはいる。第二尚氏の初代の王として、ウィキペディアでは次の写真が掲載されている。
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さて、最初に訪れたグスクは、世界遺産に登録されている今帰仁(なきじん)城である。この城は、琉球王国成立以前は、北山の国王の居城であった。1416年に滅ぼされるが、その後もこの地域の統治のために、北山監守が今帰仁城に派遣された。

現在の城跡は、石垣が整備され、往時をしのばせてくれる。城の全体像は写真のようで、幾重の石垣で囲まれている。
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一番外側の石垣は次のようだ。
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中ほどの石垣は、
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城では祭祀が行われた。
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一番奥まで進み、外を見ると石垣の様子がよく分かる。
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最も奥には女官たちの住まいの跡がある。
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次の日(8月10日)は、その一部が世界遺産に登録されている首里城を訪問した。復元される前に何度か訪れたことがあるが、復元されてからは初めての訪問だ。琉球王朝時代の王家の城だが、三山時代には中山の城として利用されていたと推定されている。
正殿は漆塗りのきれいな建物だ。
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正殿の前での謁見の様子は、、
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正殿の模型もあった。
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正殿に入るためには、いくつかの門を通らなければならない。その中の一つが次の写真である。雨にもかかわらず、沢山の観光客がこの門をくぐり抜けようとしていた。
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夕飯は古民家の大家でとった。外国人観光客であふれかえっていた。さらに、店員の多くも、外国人。沖縄の多様性を実感した。
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後で調べてみると、昨年度、沖縄県を訪ねた観光客の総数は776万人で、そのうち、外国人が150万人を占めるそうだ、
沖縄タイムスの資料では次のようになっている。
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外国人観光客の伸びが著しいことが分かる。