bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

戸隠神社に行く

今回の旅行の主目的であるクラス会は北志賀高原で行われた。Wikipediaによれば、ここは志賀高原に含まれないようだが、同じようにスキー場としてよく知られている。しかし流石にこのシーズンは閉じているホテルの方が多い。17時にホテルに集合で、温泉に入り、飲食しながら遅くまでお喋りして、クラス会はお開きとなった。翌朝は散歩に出かけたが、人影はなかった。冬は白銀の世界となるゲレンデは、草で覆われ、緑が眩しかった。

皆で朝食をとっている時に、昼飯は戸隠でとなり、途中にある中野市の一本木公園でバラを鑑賞しようということにもなった。高校の先生をしていた黒岩喜久雄さんが、自宅で育てていたバラ(172種179本)を中野市に寄付したことがきっかけで、現在は850種3000本のバラが植樹されている。




戸隠にはたくさんの蕎麦屋がある。いくつかが候補に上がったが、宿坊と蕎麦屋を一緒に経営している店が良さそうだと決まり、そこで山菜天ぷら蕎麦を食した。その後は戸隠神社の中社を見学した。

戸隠神社のホームページには、伝説が紹介されている。それによれば、「はるか神代の昔、戸隠神社高天原に由来する天岩戸開き神話ゆかりの神々を祀っていた。弟のあまりの乱行に天照大神は岩戸に隠れたため、世の中は真っ暗になり、大混乱になった。そこで、困った神々が会議をし、大神を再び外へ連れだすため、歌や踊りの祭りを開いた。その賑わいを不思議に思い、天照大神が少し戸を開けたところで、手力雄命( たちからおのみこと) が岩戸を押し開き、大神を迎えた。その岩戸が下界に落ちて戸隠山になった」とされている。戸隠神社は五社からなり、この神々の物語から、各社は神話の中に現れる神を祀っている。中社は、天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)である。

戸隠神社は、この他にも、地主神として水と豊作の大神の九頭龍大神を祀っている。これは戸隠信仰の始まりとされている。天台密教が伝播した後、神仏習合顕光寺が創建され、戸隠信仰は修験道とも習合した。しかし明治時代の神仏分離令により、神仏一体の戸隠信仰は神道か仏教かの選択を迫られ、戸隠信仰の源流が古代人の山への信仰にあったことから、仏教的なものは一掃され、神社神道として歩むことになり、現在に至っている。

中社。

さらに鏡池に足を伸ばした。早朝の穏やかな時に来ると、戸隠山が水面に移り、幻想的な光景が醸し出されることで有名な池である。ここに到着したのは午後で、風も少しあったので、湖面は小さな波が立ち、山の姿は映されてはいなかった。


この後、長野駅まで送ってもらった。今日の行程は100kmを超えていた。昨日までの徒歩での旅と比較すると、比べられないほどに大きく移動している。徒歩での旅はその土地の風情が感じられて良いものだが、車での旅はなんといっても効率的で、しかも楽である。運転してくれた同級生に感謝している。次は2年後に開催したいと言っていたが、みんな健康でいてくれることを祈って、次の地へと向かった。