bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

トーハクで特別展「古代メキシコ」を見学するーテオティワカン 神の都

今回のトーハクの特別展は、四つに区切られていて、2番目はテオティワカンである。ここは、メキシコの首都メキシコシティの北東50km、メキシコ中央高原の一角にあり、海抜2300mの盆地の中央にある遺跡である。紀元前100年から550年までの古代文明が栄えた計画都市で、その規模は約25km²、2000ほどの住宅用アパートメント群が立ち並び、10万人ほどの人が住んでいた。

テオティワカンはピラミッドがあることで有名である。下の写真(Google Earthで作成)で右隅中央にあるのが「月のピラミッド」、中央右寄りにあるのが「太陽のピラミッド」、左隅中央にあるのが「羽毛の蛇ピラミッド」である。これらのピラミッドを結んでいるまっすぐな道が「死者の大通り」である。月のピラミッドは北の方にあり、死者の大通りは北北東の方向に造られている。

Wikipedia*1からの写真で、月のピラミッドから見た太陽のピラミッドと死者の大通りである。

同じくWikipedia*2からの写真で、月のピラミッド。

特別展でもいくつかの写真を撮ったので、それらを見ることにしよう。

「太陽のピラミッド」は、200年頃に日没の方向に造られた。初期には底面約216m四方、高さ64mだった。後に正面に前庭部が付加され、400年ごろには両側面と裏側にそれぞれ7m程増築された。このピラミッドから発見された遺物は次の通りである。

死のディスク石彫。太陽のピラミッド正面の「太陽の広場」から出土した。テオティワカン文明300-550年。

マスク。太陽のピラミッド内の中心付近の岩盤上で発見された。儀礼用セットの一つとしてピラミッド建造時に奉納された。テオティワカン文明150-250年。

頭飾りとペンダントをつけた小立像。これも岩盤上で発見された。儀礼品セットの中心付近で倒れた状態であった。テオティワカン文明150-250年。

小立像。上記の小立像と同じ場所で発見された。

「月のピラミッド」は、死者の通りの上にあり、その頂点はピラミッドの背後にある山の頂上と重なるように設計された。ピラミッドの前面には対称的に設置された小・中型の神殿ピラミッドが月の広場を囲み、死者の大通りへとつながっている。1998−2004年の内部のトンネル発掘で、100年頃からほぼ50年間の間隔で、古いピラミッドが新しいそれで覆われたことがわかった。その増設時に捧げられた生贄の埋葬墓からは、総数37人の異なった身分の犠牲者が豪華な埋葬品、戦士の象徴品、100以上の動物生贄とともに発見された。

モザイク立像。月のピラミッドの埋葬墓6の中心部で出土。蛇紋石とヒスイ輝石岩の小片が貼り付けられた胴体部と、貝殻と黄鉄鉱の小ピースで形作られた口と耳を持つモザイク石像である。テオティワカン文明200-250年。

都市中心区の南端には、一辺約400mの大儀式場「城塞」が横たわり、都市住人10万人が全て収容できる中心神殿の「羽毛の蛇ピラミッド」がある。ここのピラミッドの壁面は権力を象徴する「羽毛の蛇神石彫」と、時の始まりを表す「シパクトリ神」をかたどった石彫で覆われていた。
羽毛の蛇神石彫。テオティワカン文明200-250年。

シパクトリ神の頭飾り石彫。テオティワカン文明200-250年。

以下は羽毛の蛇ピラミッドの古代トンネルの最奥部から出土した。
立像。テオティワカン文明200-250年。

立像。テオティワカン文明200-250年。

トランペット。テオティワカン文明150-250年。

嵐の神の土器。農業にとって重要な雨の神である「嵐の神」の姿をした水差し容器である。テオティワカン文明150-250年。

椀。テオティワカン文明200-250年。

テオティワカン文明の最後のコーナーは、「都市の広がりと多様性」である。古代のテオティワカンでは、約10万人の人々が密集した都市空間に住んでいた。この都市は計画的に造られ、200年頃には三つの大きなピラミッド、大規模な儀礼広場、宮殿タイプの施設など都市の中心部がまず建てられ、その後に周辺部で多くの住宅群が建てられた。2000ほどのアパートメント式住居は、窓のない石造建設で、多くの部屋は壁画で飾られていた。また都市の境界地区には壁画のない質素な住居群があり、前者に住む人々との間に社会階層での差が伺える。それでは、遺物を見て行こう。

香炉。くびれた胴部を持つ本体と装飾で覆われた蓋からなる。住居での発見例が多く、親族・コミュニティーリーダー・先祖・神を崇拝するための儀式用具と思われている。テオティワカン文明350-550年。

鳥型土器。稀な動物型土器。出土した場所はメキシコ湾との交易を行う貝商人の基地だった可能性がある。テオティワカン文明250-550年。

人形骨壺。テオティワカン内のオアハカ移民地区で出土している(オアハカは、メキシコシティの約300km南東にある。テオティワカンに先立つ遺跡がある)。テオティワカン文明450-550年。

三足土器。壁画の豊富な住宅内の埋葬体から副葬品として出土した。古代国家の最大の関心ごとである生贄儀式の様子が描かれている。テオティワカン文明450-550年。

テオティワカンは、やはり現地に行き、大きなピラミッドを眺望し、死者の大通りを歩いて、この時代に思いを馳せるのが良さそうである。

*1:Jackhynes - uploaded on 25. Jul. 2006 to english wikipedia by author, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1052963による

*2:Diego Delso, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=30702032による