bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

ウォルター・アイザックソン『コードブレーカー』を読む

4月に図書館に予約した本が、やっと貸し出してくれた。この本は上下2巻に分かれていて、今回入手できたのは下巻の方である。上巻の方は、順番待ちの人がまだ9人もいるので、月に2人ずつ減るとしても、入手は5か月後である。今年中ならば良い方だろう。人気のある本が上下に分かれているときは、図書館から借りて読もうとすると、なかなかうまくいかない。今回の『コードブレーカー』は、上巻は生命科学の中での遺伝子組み換えに関する原理の説明で、下巻はその応用なので、順序を逆にして、しかもかなり時間をおいて読んでも大丈夫そうである。

この本を知るきっかけとなったのは、図書館のブログで人気のある本のリストを調べている時だった。たくさんのタイトルが並んでいる中で、『コードブレーカー』という聞き慣れない単語に興味を感じた。最先端の生命科学を取り上げたSFぐらいに思って、取り敢えず予約した。予約したのも忘れたぐらい長い月日が経ったあと、図書館の窓口で受け取った時、ジェニファー・ダウドナさん(Jennifer Anne Doudna)を描いた本であることにビックリ。彼女はカリフォルニア大学バークレイ校の教授で、フランス人のエマニュエル・シャルパンティエさん(Emmanuelle Marie Charpentier)とともに、ゲノム編集技術であるクリスパー・キャス9を開発した。遺伝子を編集されたベビーが中国で誕生した事件を覚えている人も多いことと思うが、人の遺伝子をも書き換え可能にする技術をもたらしたのが彼女である。クリスパー・キャス9の論文は2012年に発表され、8年後の2020年に、この二人の女性はノーベル化学賞を受賞した。最近は、ノーベル賞は論文を発表してから相当長い年月が経ってから授与されるのが当たり前になっているが、短期間での受賞はこの技術が比類ないほどに卓越していることを示すものである。

クリスパー・キャス9は、細菌がウイルスを退治するメカニズムに倣ったものである。我々人類はこの3年間コロナウイルスとの戦いに明け暮れたが、もしわれわれが細菌であったならば、何と言うこともなく簡単に撃退できたであろう。そのメカニズムをものすごく簡略化して説明すると次のようになる。ウイルスが細菌の細胞の中に入ってくると、細菌はそれをウイルスと認識できるようになる。認識に用いるのは、ウイルスの遺伝子の一部である。そして細菌は認識すると、ウイルスを無力化するためにウイルスの遺伝子を切断する。ウイルスは、切断された箇所を修復しようとするが、多くの場合誤って修復してしまう。これによって、ウイルスとしての働きがなくなる。これをノックアウトという。また切断個所に別の遺伝子を入れ込むことが可能で、この時は新たな機能を持たせることができる。これはノックインという。

クリスパー・キャス9は、上のような働きをするが、これは3要素から成り立っている。一つはウイルスの遺伝子を切断する酵素(キャス9)、もう一つはウィルスの遺伝子のある部分を記憶しているクリスパーRNA、そして残りの一つは切断できるようにウイルスを運んでくれるトレイサーRNAである。酵素はハサミの役割をするが、ウイルスによって切断できるハサミは異なり、それぞれキャス12,キャス13などと名前が付けられている。酵素を区別しないときは、前半だけを用いて単にクリスパーと言うことにしよう。

クリスパーRNAはウイルスが入ってきたとき認識に使われるので、発見するためのターゲットとしての役割を担っている。そこでクリスパーRNAを、別の個所の遺伝子部分に変えることで、ターゲットを変えることができる。そしてそこを切断するためには、ハサミも変える必要があるかもしれない。これからクリスパーRNA酵素を変えることで、遺伝子の様々な場所を切断できることが分かる。すなわち遺伝子を好きなように編集できる可能性があることが分かる。

細菌の場合にはウイルスを殺すためにクリスパーを用いていたが、これを人間の細胞へ応用することも考えられる。人間の細胞は、体細胞と生殖細胞に分けることができる。体細胞は、手や足、目や耳、筋肉や骨などを構成している細胞である。体細胞にクリスパーを用いることで、癌やアルツハイマーの治療、今回のコロナの検査薬、ワクチン、治療薬への応用などを考えることができる。また、生殖細胞に応用することで、アインシュタインのように頭のよい子供を得たり、アーノルド・シュワルツェネッガーのように腕力に優れた人を得たりということもできるようになるだろう。

体細胞に応用した時はその影響は一代限りであるが、生殖細胞に応用したときはその影響は子孫累々にまで及ぶ。これはなんとも恐ろしいことだが、神様に代わって人間を設計できることを意味する。今までは子供の体質は、親のそれを引き継ぐものの、兄弟同士でも異なるように、誕生の時の偶然に任されていた。しかしクリスパーを用いると、髪の毛は金髪に、目の色は青く、肌の色は白くなどと、レストランでのメニューを見るかのごとく、人為的に選択できるようになる。

このような状況は良いこととは限らず、悪影響を引き起こす可能性がある。例えば、遺伝子操作は高額な医療となるだろうから、裕福な人ほど優れた子孫を残せる確率が高まり、格差はどんどんと広がっていくことになる。また芸術家には躁鬱症が少なからず見られるが、そのような人が少なくなった場合には、優れた芸術作品が生まれなくなる可能性も考えられる。これの延長線上にあるが、男と女、雄と雌が存在するのは、多様性を生み出すためである。しかし遺伝子の人為的な選択の結果、金髪で青い目で白い肌の人だけになった時、人類は環境の変化に対して脆弱になることも考えられる。

それでは、どこまで遺伝子操作をしてよいのだろうか。その目的には、病気の治療、能力の強化、病気の予防などがある。そして施す箇所は、体細胞、生殖細胞となる。体細胞での病気の治療と予防は容認できそうである。これに対して生殖細胞での能力の強化はどうであろうか。自分の子供によい教育を施したいとほとんどの親は思うであろう。それと同じで、筋力に勝り、知力に優れる子が得られるように、遺伝子操作をしてなぜ悪いのだと、自由を標榜する人々は主張するかもしれない。

ダウドナさんは、遺伝子操作をした子供を世の中に送り出すことには賛成していないが、生殖細胞を用いて遺伝子操作をする実験を中止(モラトリアム)することには反対で、政府がモラトリアムに出ることを恐れている。人類に突き付けられた新な倫理問題に対して、正しい判断ができるようになるまでしばらく時間が欲しいとしている。ここまでが下巻の前半である。

後半は、今回のコロナウイルスとの戦いを描いており、とても興味が惹かれるとともに、人間的な面も見られる面白い部分だ。クリスパーを巡っては、ダウドナさん率いるバークレーのグループと、フェン・チェンさん(張鋒)のMIT・ハーバードのグループとの間で、激しいバトルが繰り広げられていた。しかしコロナウイルスに対しては、人類の存続をかけての戦いであるという認識に立ち、そこで得られた成果は共有の財産とし、その使用はフリーとし、協力・協調のもとで研究・開発がなされた。その結果、短期間で、ワクチン、検出・治療の薬が開発され、今日の状況を迎えることができた。今回の方法は、ITでのオープンソースソフトウェアと同じように相乗効果が大きかったことから、今後の開発形態として注目されている。

クリスパーに代表される生命科学、そして人工知能に代表されるIT技術は、ユヴァル・ノア・ハラリさんが予言するように、人類をホモ・サピエンスからホモ・デウスへ、すなわち人から神へ、と変えてしまう可能性を秘めている。これまで想像だにしていなかった大変革の入口に立たされているが、科学と医学の倫理がどこにあるのかを熟慮して、慎重な対応が必要があることは言うまでもない。

最後に、とても読みやすい本であった。西村美佐子さんと野方香方子さんの丁寧な翻訳が目立っていた。今後もこのような本が出版されることを期待している。