bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

江戸五色不動のうちの目黄・目赤不動を訪ねる

東京には江戸五色不動と呼ばれる寺院があることを、ブラタモリの番組を見ている時に知った。目黒不動は、親戚の家がこの近くにあり境内で遊んだりしたが、その他については全く知らなかった。山手線に目白という駅があり、同じ路線にある目黒と何か関係があるのだろうとは思っていたが、不動つながりであるとは思わなかった。まして赤・黄・青の不動があるとは、この番組で初めて知った。

上図は江戸五色不動の所在地を示したものである。これを反時計回りにたどると、目黄不動最勝寺(江戸川区平井)、同じく目黄不動の永久寺(台東区三ノ輪)、目赤不動南谷寺(なんこくじ:文京区本駒込)、目白不動金乗院(豊島区高田)、目黒不動瀧泉寺(りゅうせんじ:目黒区下目黒)、目青不動最勝寺教学院(世田谷区太子堂)となる。

五色は密教の陰陽五行説に由来しているようだ。青・白・赤・黒・黄は、それぞれ東・西・南・北・中央を表すとされている。伝説では、3代将軍徳川家光が大僧正天海の具申をうけて、江戸の鎮護と天下泰平を祈願して、5つの方角の不動尊を選んで割り当てたとされている。しかし図からも分かるように、それぞれの寺院は必ずしもその色が指し示す方位にはない。

史実によれば、目黒・目白・目赤は江戸時代の地誌にも登場するが、天海と結びつける記述はまったくない。明治時代になってから目黄、目青が登場し、後付けで五色不動伝説が作られたと考えられている。

金乗院真言宗だが、他は天台宗で、全ての寺院が密教系である。それもそのはずで、これらの寺で祀られている不動尊(不動明王)は、密教で信仰される明王である。密教での最高位の仏様は大日如来で、その化身の不動明王は怒りを込めた恐ろしい姿(忿怒相)で、衆生を正しい道に導くとされている。

江戸五色不動巡りは2回に分けて行うことにした。1日目は右半分の3寺、2日目は残りとした。初日の行程は下図のとおりである。

錦糸町駅が出発地で、ここから葛西駅前行のバスに乗る。あまり混んではいないだろうと予想していたのだが、バス停に着いたら長い行列になっているのでびっくり。それもほとんどの人がシニアで、手には東京都の老人パスを持っている。私が住んでいるところも東京都だが、西の端で神奈川県に囲まれた地域のため、老人パスは殆ど用をなさない。このため使い方さえ知らないし、もちろん所有もしていない。見れば駅前にはバス停がひしめいていて、都バスがドンドンと流れていくのが見える。シニアにとっては便利なところなのだろうと羨ましく思えた。列の後ろの方だったが、何とか座席にありつけ、バスからの車窓を楽しむことができた。京葉道路に沿ってなので、道幅が広く、道の両側には10階建てぐらいの高さのビルが整然と立ち並んでいる。そうこうするうちに最寄りのバス停の小松川三丁目に着いた。

早速、携帯を取り出して、最初の目的地を確認する。途中、都立小松川高校の脇を通る。校庭には体操着の高校生たちが声をあげずに動き回っていた。高校の反対側には、寺がいくつか続いていて、最後に現れたのが目黄不動最勝寺だった。
正面。左右の朱に塗られた門には仁王像が、そして正面に本堂が見える。

仁王像を拡大。

不動堂。屋根が二重になっている。

横から、目黄不動明王の碑が立っている。

本堂。

千体仏。

天台宗東京教区の公式サイトの情報を抜粋すると、「最勝寺の始まりは、慈覚大師が東国巡錫のみぎり、隅田川畔(現・墨田区向島)にて、釈迦如来像と大日如来像を手ずから刻み、これを本尊として貞観二年庚辰(860)に一宇を草創したことによる。同時に大師は、郷土の守護として「須佐之男命」を勧請して牛島神社に祀り、大日如来本地仏とした。慈覚大師の高弟・良本阿闍梨は、元慶元年(877)に寺構の基礎を築き、最勝寺の開山となり、当寺を「牛宝山」と号した。その後、本所表町(現・墨田区東駒形)に移転した。不動明王像は、天平年間(729~766)に良弁僧都(東大寺初代別当)が東国巡錫の折、隅田川のほとりで不動明王を感得され、自らその御姿をきざまれたものであり、同時に一宇の堂舎を建立された。その後最勝寺の末寺で本所表町にあった東栄寺の本尊として祀られ、徳川氏の入府により将軍家の崇拝するところとなった。明治末に隅田川に駒形橋が架かることによる区画整理があり、現在地に移転し今日に至る」とされている。
隣の大法寺。

さらに隣の善通寺。エキゾチックだ。

次は同じ目黄不動の永久寺である。まずはJR線の平井駅に向かう。この辺りは昭和の風情を残しているところで、商店街も懐かしく感じられる。秋葉原で乗り換えて地下鉄日比谷線三ノ輪駅で降りる。駅から直ぐなのだが、ちょっと気がつかず通り過ぎてしまった。門が閉ざされていたので、外側から写真だけ取る。

脇には説明書きがあった。これを見つけなければ気がつかなかった。

天台宗東京教区の公式サイトの情報を抜粋すると、「永久寺の歴史をひもときますと遠く14世紀南北朝騒乱の頃とされます。ただ当時は真言宗のお寺で名称も唯識院と呼ばれていたようです。江戸時代に入って、出羽の羽黒山の圭海という行者さんによって天台宗の寺となります。さらに寛文年間、幕臣山野嘉右衛門、号して藤原の永久という方が、諸堂を再建し境内地も拡張・整備され、寺院名も永久寺と改められ、中興の祖となられました」とある。

三ノ輪に来たのは初めてである。かねがね都電に乗ってみたいと思っていたので、これを利用して次の目的地に向かうこととした。都電に沿っての商店街も、平井と同じようにいやそれ以上に、懐かしさで溢れている。

三ノ輪橋駅。

都電は街を縫うようにしてゆっくりと進む。先ほどのバスとは異なり、若い人もかなり乗っている。しかも子供連れが多い。途中から混みだしてきたが、老人を見かけるとすぐに若い人が席を譲っていた。私が普段利用している電車では見かけない光景で、やはり懐かしい光景に出会った。そして乗換のために王子駅前で降りた。

南北線に乗り継ぎ、本駒込で降りて、南谷寺に行く。

本堂。

不動堂。

天台宗東京教区の公式サイトの情報を抜粋すると、「創建は元和年間、開基は万行律師と伝えられております。万行律師という方は比叡山南谷の出身で後に南谷寺の寺名もこれに由来しております。万行律師は常に不動明王を信奉し、ある時、比叡山を下り今の三重県赤目山にて修行をかさね1寸2分の不動明王を授かり江戸に赴いたのであります。当初は駒込動坂(堂坂)に庵を結び赤目不動尊として日々民衆を教化致しておりましたところ、この駒込動坂近くには将軍家鷹狩りの場があり当時の目黒・目白にちなみ目赤不動と改称するよう申し渡されたのです」となる。

まだ陽も高かったのでさらに訪問できそうだったが、次は雰囲気が異なる山の手のお寺になるので、ちょうどきりもよいので続きを楽しみに帰路に就いた。