友人が沢木耕太郎さんの本が面白く、すべてを近く読破しそうだと伝えてきた。私は現代作家にはあまり興味はなく、名前を聞いた程度の認識しかなかった。おそらく、三島由紀夫さんまでが限界で、それ以降の作家の本はほとんど読んだことはない。しかも、三島さんの本でさえちょっと屈折している。数ある彼の著作の中で最も印象に残っているのは『潮騒』である。でも原作で読んだわけではない。留学しているころに、英語の勉強にと買っておいた英訳本をホームステイ先で読んだ。読み終わったとき、奥さんに何を読んでいたのと聞かれたので、「日本の片田舎の漁村を舞台にした、素朴で英雄的な胸ワクワクするロマンスを描いた素晴らしい小説です」と言って、「どうぞ」と手渡した。彼女も気に入ってくれたようで、次の日には読み終えていた。「感動的な本だった」と言ってくれたのでプレゼントした。
このようなわけで、沢木さんに魅せられていると聞いても興味を持つことは全くなかった。しかし、思いがけないところからこの状況が変わった。それは今年のこの暑さである。ちょっと油断をして軽い熱中症に罹ってしまい、その後とても弱気になった。外に出るのを控えて家の中で静かに過ごしたほうが、自分のためでもあるし、周りの人のためでもある、と強く思うようになった。そして、長い時間を退屈せずに家で過ごすためにはどうしたらよいのだろうと考えを巡らした。その結果、気楽に楽しめることを続けるのが一番良いと考えた。読書好きの友人が楽しんでいる作家はどうだろうとグーグルで検索してみた。沢木さんがたくさんの本を書かれていることにびっくりする。それぞれの本の簡単な紹介を見ても、どれが面白そうなのか判断がつかない。つまらないものを買ってしまったと後で後悔するのも癪にさわるので、市の図書館から借りることにした。そして、魅力的なタイトル名の『深夜特急』を試みることにした。
読み始めてビックリ、同じ時期に同じような体験をしていたことに気が付いた。彼はヒッピーとなり放浪の旅に、そして、私はヒッピー発祥の地バークレイに、彼よりも1~2年前に、旅立った。彼は西に、私は東に、羽田*1から飛び立った。彼はデリー行の片道切符を購入し、ストップオーバー*2を利用して最初の目的地の香港に飛んだ。
私はロスアンジェルスまでの片道切符*3である。当時は、アメリカ西海岸への直行便はなく、全てがハワイ経由であった。利用したエアラインは最安値のノースウェスト航空だった。その頃はまだ古いしきたりが残っていて日付変更線を越えるとお祝いの品々が配られた。意図的にそうしたのかどうかは忘れたが、私の真向かいはスチュアーデスの座席だった。彼女が着席しているときは、英会話の練習に励んだことは言うまでもない。最後には、相手がもう寝かせてというまで長々とおしゃべりした。ハワイの空港は太平洋に浮かぶ古き時代の南の楽園を想像させるのに十分だった。乗客は飛行機に直接つけられたタラップを降り、まぶしい陽光を浴びながら、入国審査の建屋までの誘導路ともいえる道をトボトボと歩いた。その頃の留学生は特大の胸部レントゲン写真を携帯するように求められていたので、アメリカの大地を初めて踏む異様な異邦人のように、私は見られたことであろう。
深夜特急の中で面白いと思ったのは、値引き交渉である。特にペルシャ・イスファハンでの懐中時計を巡ってのやり取りは面白かった。彼の交渉は3日間にも及んだ。最後は満足な価格で入手するのだが、やりすぎたと思ったようで、翌日お菓子をもって再度訪れる。店の老人は彼の意図が分からず、難癖でもつけに来たのだろうと思ってあしらおうとする。彼はいろいろと説明しやっとのことで受け取ってもらい、罪の意識から逃れる。
私も海外に出ると、相手との心理戦を楽しみながら、値切り交渉するのが大好きだ。一番印象に残っているのは、オーストラリア・アデレードでの話だ。1年間滞在したこの町を去るときに、新品同然のトヨタ・カマリを手放さなければならなかった。ここの大学に招いてくれた友人が地元紙に広告を出してくれたが、一向に反応がなかった。少し焦り始めていたときに、あるインド人の教授が買ってもいいという朗報が入ってきた。一般にインド人はこの手の交渉が得意であることを知っていた。そして、彼もその一人だった。開口一番、車は買った瞬間に半額になると強く出てきた。予想した通りに始まったと感じ、じっくりいこうと考えて、いやいや丁寧に手入れをしたので新品と比べても遜色ないと反撃し、車を誇らしげに見せながら新品に近い額にしましょうと切り返した。
このような会話を延々と繰り返し、1時間近くも話し合いを続けて、何とか満足のいく額で決着がついた。その後、ところで政治学のこの先生をご存じですかと流暢な日本語で尋ねてきた。この瞬間、打ちのめされたと感じた。万全とは言えない英語で交渉してくる私の心理を、彼は心ゆくまで楽しんだことだろう。彼は大学院の時にこの先生のもとで指導を受けたとのことだった。私も間接的によく知っている先生だったので、大学のスタッフ・クラブでアデレードのワインを飲みながら、彼の日本での大学院時代の話に日本語で興じた。
この本で最も面白かったのはミステリアスな経験である。著者は建築家の磯崎新さんと知り合いで、奥さんで彫刻家の宮脇愛子さんとも親しかった。出立前に、二人からお別れにと食事に招かれた。そこで、奥さんからトルコ・アンカラに寄ったらある女性にぜひ伝えて欲しいことがあると依頼される。奥さんとトルコの女性は二人ともある彫刻家のお弟子さんであった。そして、トルコの女性は先生と情けを交わす中となったが、一緒に住むことは叶わぬ夢と覚え、トルコの女性は彼のもとを去っていった。時がたち彫刻家の先生は亡くなった。そのことをトルコの女性は当然知らないはずなので、それを伝えて欲しいと奥さんから依頼されたのだった。
沢木さんは、彫刻家の奥さんを裏切っているような後ろめたい気持ちを抱きながら、愛人であったトルコの女性の家を訪ねる。遺作展のパンフレットを手渡しながらそのことを伝えると、意外にも知っていた。あるとき何となく胸騒ぎがして、先生の安否が心配となって実家に電話したそうだ。そうしたら、亡くなってますと女の人から応答があったそうである。
他方で、沢木さんはローマに在住している彫刻家の妻の電話番号も知らされていた。ローマに到着したとき、散々迷った末に彫刻家の妻に会うことにする。磯崎さんの奥さんからは絶対にトルコの女性の話はしないようにとくぎをさされていた。彫刻家の妻と会うたびごとに、トルコの女性の話をしないことに段々と後ろめたさを感じるようになる。耐えきれなくなり、遂に、お弟子さんにこのような方がいましたと差し障りがない範囲で説明する。そうするとびっくりしたことに、おそらくその人を知っているという。亡くなった後、女の人から電話があったとのこと。そして、おそらくはその人だろうと話された。その瞬間、沢木さんの胸の奥深いところで澱となっていたものが融解し、彼が抱いていたミステリアスな感情は霧消した。
話はいきなり飛ぶけれども、人はなぜ旅をするのだろう。沢木さんは、ギリシャ・スパルタで何をするでもなく廃墟の石の上に座っている老人に話しかけられる。彼はニューヨークの大学で教鞭をとっていたが、16年前に移住してきた。そして、この老人は何も必要ないのだけれども、人だけを必要としているという。この時、沢木さんもそうだと納得した。
旅をする目的は、多くの場合、自由を求めてだろう。人と人との交わりの中で生きている人間は、その関係が固定し始めてくると、まるでクモの巣につかまってしまったかのように不自由さを感じたり、さらには閉塞感を覚えるようになる。突然、現在のクモの巣から逃れたくなり、飛び出してしまう。しかし、人間は人なしには生きていけないので、次の新しいクモの巣を構築しようとする。それまでの間が旅だと思うが、どうだろう。
深夜特急は文庫本6巻で構成され、そのページ数は優に千ページを超える。ここまでの量になるととても覚えきれるものではない。このためレビューを書く時は、AIが役立ちそうである。そこで少しトライしてみた。そして、この実験から分かったことは、大きな質問に対してはまともな答えが返ってくるが、具体的な内容になると通り一遍の答えとなる。これは、深夜特急に関する記事をAIが利用しているためである。もし深夜特急の全文が読み込まれているならば、細かな質問に対しても適切な答えが返ってくるだろう。とても便利になってきているように思う。そして、AIを利用することで、読書の仕方が変わってくることだろう。
以下にAIくんとのおしゃべりを掲載しておく。ここで使ったAIくんはCopilotで、バランスよく答えてくれるように頼んだ。それでは始めよう。
問1:沢木浩一郎の「深夜特急」で、旅をした先を順番に挙げてください。
答1:もちろんです!作家・沢木耕太郎の「深夜特急」は、バックパッカーたちの間でいわばバイブル的に扱われていた素晴らしい紀行小説です。 それでは、主人公の旅の行程を順番に振り返ってみましょう。
1. 香港(イギリス領):
・1974年春。デリーへの航空券のストップオーバーで、香港を訪れます。香港は毎日が祭りのようで、活気にあふれていました。
2. マカオ(ポルトガル領):
・香港から船で1時間でマカオへ。ここでサイコロ博奕に挑戦しますが、結果は…100ドルすり、200ドルすりと失敗続きでした。
3. バンコク(タイ):
・バンコクは東京や香港以上にけたたましい街。しかし、何日歩いてもバンコクという街が捉えられないと感じます。
4. ペナン(マレーシア):
・鉄道でマレーシアへ。泊まったのは娼婦館で、6組の陽気な娼婦とそのヒモたちと交流します。
5. シンガポール(シンガポール):
・白人旅行者と話す中で、旅は半年で終える必要はないと気づきます。シンガポールは香港とは異なる魅力を持っていることに気付きます。
6. カルカッタ(インド):
・デリー着の航空券をカルカッタ着に変えてもらい、ここで熱狂に包まれます。カルカッタにはすべてがありました。
7. ブッダガヤ(インド):
・静かな農村の聖地で、日本寺に泊まり、アシュラム(孤児院)で暮らします。
8. カトマンズ(ネパール):
・滞在費はインドよりさらに安いが、雨が続くカトマンズで過ごします。
9. ベナレス(インド):
・ヒンドゥー教徒の聖地で、無数の死に取り囲まれていることを感じます。
10. デリー(インド):
・春に日本を出発し、もう秋になっていました。最初の計画通り、バスだけでロンドンへ向かいます。
11. ペシャワール(パキスタン):
・パキスタンは明るい国で、バスのスピードは世界でも恐ろしいものでした。
12. カブール(アフガニスタン):
・ラマダンが終わり、みな晴れやかな顔をしているカブールで数週間滞在します。
13. テヘラン(イラン):
・ヒッピーバスで国境から3日かけてテヘランへ。大都会のテヘランで知人と再会します。
14. アンカラ(トルコ):
・トルコ人女性への使者役を果たし、アンカラを去ります。
15. イスタンブール(トルコ):
・アンカラからイスタンブールへ。久しぶりの魚料理を楽しみ、日本に近づいている気さえする町です。
16. アテネ(ギリシャ):
・橋を渡ればギリシャ、ヨーロッパ。茶の国からコーヒーの国へ。アクロポリスの丘で生きていたのは野良猫だけでした。
17. ローマ(イタリア):
・ローカルバスを乗り継いでローマへ。ヴァチカンのピエタは手を伸ばせば触れられる距離に置かれていました。
18. マルセーユ(フランス):
・パリへ行けば旅はほぼ終了と思いましたが、私にはここが旅の終わりだということがどうしても納得できませんでした。それでスペインへ。
19. マドリード(スペイン):
・バルで酒を楽しんだり、ピンボールゲームをしたり。いったい俺はこんなところで何をしているのだろうと思ったことでしょう。
20. リスボン・サグレス(ポルトガル):
・ここはユーラシアの西端。大西洋を見て、私は長い旅を続けてきたのではないかと思いました。
21. パリ(フランス):
・パリは暮らしやすく、美しい町並み。年末年始を過ごし、そろそろ行こう、ロンドンへと思ったことでしょう。
22. ロンドン(イギリス):
・ロンドン到着の電報を日本に打ったら旅は終わりだと思ったでしょうが、中央郵便局を探すと…。
この素晴らしい旅のエピソードが、あなたにもインスピレーションを与えてくれたことを願っています。どんな旅でも、新たな発見と感動が待っていることを忘れずに、さあ、次の冒険へと進みましょう!
問2:カルカッタでの行動を教えてください。
答2:もちろんです!沢木耕太郎さんの「深夜特急」でのカルカッタ(現在のコルカタ)でのエピソードは、彼の旅の中でも印象深いものの一つですね。カルカッタは、インドの文化や歴史、貧富の差、そして人々の生活が交錯する場所でした。
1. 路上での出会いと物乞い:
・カルカッタでは、路上で突然物乞いに足首をつかまれる出来事がありました。この瞬間、著者はインドの現実と向き合うことになります。貧困と人々の生活の厳しさが目の前に広がっていました。
2. ブッダガヤへの移動:
・カルカッタから次の目的地であるブッダガヤ(インドでは「ボドガヤー」と発音するらしい)へ向かうため、列車に乗りました。ブッダガヤは仏教の聖地で、釈迦が悟りを開いた場所です。
3. ブッダガヤでの体験:
・ブッダガヤでは、最下層の子供たちとの共同生活を体験しました。アシュラム(孤児院)での日々は、インドの貧困層の厳しい現実を目の当たりにすることとなりました。
4. カルカッタの混沌と興奮:
・カルカッタの街は混沌とした活気に満ちていました。著者は街を歩き回り、さまざまな出来事に触れました。彼は言います。「カルカッタにはすべてがあった。悲惨なものもあれば、滑稽なものもあり、崇高なものもあれば、卑小なものもあった」。
カルカッタでの体験は、著者にとって人生を豊かにする一方で、同時に厳しい現実を突きつけるものでした。彼の旅は、風に吹かれ、水に流され、偶然に身をゆだねるものであり、その中で成長していったことが感じられます。
問3:ギリシャで、ペロポネソス半島のミストラに行ったと思いますが、そこでの話題を教えてください。
答3:もちろんです!「深夜特急」シリーズの第5巻である「深夜特急5―トルコ・ギリシャ・地中海―」では、沢木耕太郎さんがギリシャを訪れ、ペロポネソス半島のミストラ(またはミストラス)でのエピソードが描かれています。ミストラは、古代ギリシャのスパルタ王国の一部であり、美しい遺跡が残る場所です。ここでの著者の体験を少しだけご紹介しましょう。
1. ミストラの遺跡:
・ミストラは、スパルタから南へ約5キロメートルの場所に位置しています。この遺跡は、かつてスパルタの支配者たちが住んでいた場所であり、美しい城壁や教会、宮殿跡が残っています。著者はここで歴史と神話の融合を感じ、古代の栄光を垣間見たことでしょう。
2. 孤独と感動:
・ミストラを訪れた著者は、その静寂と孤独に包まれながら、遺跡を歩き回りました。過去の栄光と失われた文明の面影が、彼の心に深く刻まれたことでしょう。ここでの体験は、旅の中でも特に感動的な瞬間の一つとなったことでしょう。
3. 人々との出会い:
・旅の中で著者はさまざまな人々と出会いましたが、ミストラでの出会いも特別でした。遺跡を訪れる観光客や地元の住民との交流が、彼の旅を豊かにしました。注:ミストラで出会ったのはヤギとトカゲだけ。ここにぜひ行くように勧めてくれたのは、スパルタで出会った老人である。
ミストラの美しさと歴史的な重みは、著者にとって忘れられないものとなったことでしょう。このような場所を訪れることで、私たちは過去と現在が交差する瞬間を感じ、新たな視点を得ることができますね。