神奈川県立歴史博物館で、こじんまりとしているが、興味を引く展示をしている。庄内藩の武士が単身赴任で江戸に出てきているときの日記である。時は幕末、世の中は攘夷・討幕と物騒であるが、イデオロギー的な話は一切なく、江戸での勤務の様子が淡々と描かれている。文章だけだとそれほど面白くはないのだが、そこに描かれているイラストが漫画チックで、それを観ていると楽しくなる。
日記を書いたのは松平酒造助で、家禄1400石の上級藩士。庄内藩は、徳川四天王の一人の酒井忠次を始祖とする譜代の名門で、14万石。酒造助は、江戸市中取締役を指揮する組頭として、酒造助組の25名を率いて出府した。それではイラストを見て行こう。
町に繰り出して、皆でスイカ割り。スイカを担いで深川の大門を出るところ。この時代の庶民や武士の姿が描かれ、この辺りはとても賑やかだったことが手に取るようにわかる。
海水浴に行ったときにスイカ割りをしたことはあるが、橋の上で、しかも他の人を排除して、刀で割るとは。特権の活かし過ぎでは。
王子に投網(魚とり)に繰り出し、道すがら酒や油揚げを頂戴。鳥や魚を取ることは彼らの道楽だったが、道すがら酒盛りを始めたようだ。
上野向島にお花見。自由奔放に、享楽的に、江戸の人々は桜を楽しんだ。
吉原見学。真ん中の黒い着物が酒造助。生真面目な酒造助は、何を思って歩いたことだろう。
普段の生活。
酒造助は最新の鉄砲が勝敗を決することに気がつき、自費でたくさん購入した。彼には先見性があった。
ブランケットにくるまって睡眠中。このころにはすでに毛布が使われていたようである。
ハエたたき。江戸の町にはうるさいぐらいにたくさんいたようで、とても苦労した。
1本のカステラを4つに切って、一気食い。さぞかしや美味しかったことだろう。
お正月に御具足餅を頂く。2番目の上席にいるのが酒造助。
一通り見たあと、最寄り駅の桜木町の近くの大岡川沿いの桜を見学に行った。こちらの客は、時々声が聞こえるぐらいで、散策を楽しみながら、静かに愛でていた。大騒ぎをしながら、桜もそっちのけで、羽目を外す景色は、過去のものとなってしまったようである。
大岡川に浮かぶ日本丸。全長110m。黒船のサスケハナは78m。酒造助は、戊辰戦争の前年に、35歳で亡くなっている。もしも長生きしていれば、彼の先見性が活かされたのではないかと、惜しまれている。
研究成果報告書が、神奈川県立歴史博物館のホームページにあり、日記とイラストの全てを見ることができるので、参考にされるとよいと思う。