bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

Webミーティングと自動翻訳

コロナウイルスとの共存という言葉は好きではないが、世界中にこれだけ蔓延してしまうとその根絶はほとんど絶望的である。感染することのリスクをある程度覚悟しながら、社会生活を前に進めざるを得ないのだろう。博物館でのボランティアガイドも以前とは形を変えてであるが、今月から本格的に始まった。

友達や知人との付き合い方も変化し、いまではWebミーティングで仲間達とおしゃべりを楽しんでいる。とくに便利だと思うのは遠方に住んでいる友人や知人との交流である。先月も、カリフォルニアに住んでいる二組の夫婦と我々夫婦との間で機会を持ち、庭に咲いている花を見せ合ったりして、これまでとはスタイルの異なるコミュニケーションを楽しんだ。

もう一つの大きな変化は、たくさんの人が聴講できるオンライン・カンファレンスだろう。これまでは会場に行かなければ聞けなかった貴重な講演を、家から参加できるようになったことの意義は大きい。今日は、日経主催のカンファレンスで、東大の松尾豊教授の講演「人工知能の進展と産業・社会の変化」を拝聴した。この中で、2018年以降の自然言語の分野での進歩が著しいことについての説明があり、自動翻訳のDeepLと文章作成ツールGPT3が優れモノだと教えて頂いた。

そこで早速DeepLを使ってみた。前回のブログの冒頭の部分、
「9月最後の日、曼殊沙華(彼岸花)を鑑賞するために、横浜市の港北ニュータウン近くの新羽にある西方寺を訪ねた。この寺は800年前に鎌倉に創建され、500年前に現在の地に移築されたそうである(鎌倉極楽寺の境内古絵図の右下隅に西方寺と記されている)。最寄り駅は横浜市営地下鉄ブルーラインの新羽駅。そこから歩いて5分程のところにある。」
を翻訳した。

英語に、次のように翻訳された。
On the last day of September, I visited Saiho-ji Temple in Niwa, near the Kohoku New Town in Yokohama City to admire the Manjusaka (spider lilies). This temple was founded 800 years ago in Kamakura and moved to the present location 500 years ago (the name "Saiho-ji Temple" is written in the lower right corner of the old picture of Gokuraku-ji Temple in Kamakura). The nearest station is Shinwa Station on the Yokohama Municipal Subway Blue Line, and it's about a five-minute walk from there.

Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)

また中国語には次の結果を得た。
9月的最后一天,我去了横滨市港北新城附近的日和西宝寺,欣赏了万寿花。 该寺院于800年前在镰仓创建,500年前迁至现址(镰仓五乐寺老照片右下角写有 "西保寺 "的名字)。 最近的车站是横滨市地铁蓝线的新和站,从那里步行约5分钟。

英語の方は、完璧に近く、少しの手直しをすれば済むだろう。中国語の方は、日本語から英語、そして英語から中国語への翻訳ということなので、お寺などの固有名詞が同じ音の漢字に置き換わってしまうという欠点はあるものの、内容は十分に伝わる文章になっている。

この他にも、ニュース記事などいくつかを試してみたが、大きな問題はなく、ここまで翻訳できるようになったのかと感心させられた。それほど遠くない将来に、音声認識と結び付けることで、言葉が異なる人達の間でのWebミーティングが楽しめるようになるのではと期待している。

曼殊沙華を満喫するために西方寺へ

9月最後の日、曼殊沙華(彼岸花)を鑑賞するために、横浜市の港北ニュータウン近くの新羽にある西方寺を訪ねた。この寺は800年前に鎌倉に創建され、500年前に現在の地に移築されたそうである(鎌倉極楽寺の境内古絵図の右下隅に西方寺と記されている)。最寄り駅は横浜市営地下鉄ブルーラインの新羽駅。そこから歩いて5分程のところにある。
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家の近くの曼殊沙華はすでに盛りを過ぎていたので、萎れた花を見ることになるのではないかと心配しての訪問であったが、例年よりは咲くのが遅かったということでちょうど見ごろであり、多くの見学者にも驚かされた。

参道につながる寺の入り口には、港北七福神の第一番札所であることを示す石碑があった。
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入り口を入った参道の両脇には、彩が異なる曼殊沙華が植えられていた。まず入り口の近くは、導入部ということなのだろう、よく見かける赤色の花で、とても華やかに感じられた。
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少し参道を歩いて振返ってみると、赤い帯が両側を飾っていた。
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さらに進むと階段を上る。ここからは寺院としての落ち着きを感じてもらおうとしているのだろうか、鮮やかさを落とした色の曼殊沙華が植えこまれていた。右側は黄色、
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左側は白色である。
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振り返って、色の移り変わりを見た。人がいなくなるのをと思ったのだが、そのようなチャンスは訪れなかった。
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階段を登りきると山門で、補陀洛山西方寺と記した提灯がぶらさっがていた。
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山門をくぐると300年の歴史を誇る本堂。小休止中の人たちにはコロナへの恐れを反映して、マスク姿が目立つ。
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さらに小高いところに上がると鐘楼があった。
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裏山には、秋が始まったばかりの暑いとさえ感じられる陽を浴びて、萩の花が美しく咲き誇っていた。
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澄み渡った秋空の下、お彼岸に合わせて必ず咲いてくれる曼殊沙華、万葉集の秋の季語にもなっている萩の花、鎌倉時代からの長い時を経てきた西方寺で、またまたマイクロツーリズムを楽しむことができた。

一遍上人ゆかりの無量光寺を訪ねる

今年初めての秋晴れの日(28日)に、相模野に一遍上人ゆかりの無量光寺を訪ねた。一遍上人は、諸国を巡り歩き、行く先々で「南無阿弥陀仏」と書かれた念仏札を配布して、人々に念仏を唱えることを勧めた時宗の開祖として知られている。人生のほとんどを遊行して過ごしたが、いっとき無量光寺のある当麻山(たいまさん)に草庵を結んで修行に励んだとされている。

無量光寺の基礎を本当につくったのは、遊行上人2世の真教上人とされている。一遍上人とともに遊行していた真教上人は、一遍上人亡きあと教義を引き継いで遊行を続けていたが、寄る年波と病弱には勝てず、遊行は智徳上人にゆだねて、この地に一宇(建物)を建立し(1303年)、そのあと16年間にわたってこの寺で宗徒の教化に努めた。

踊り念仏としても知られている時宗だが、その最も古い寺は無量光寺である。最寄り駅はJR相模線の原当麻(はらたいま)駅、圏央道の相模原愛川ICからすぐのところにある。
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秋晴れの真っ青な空の下で、たわわに実った稲穂が相模野の秋を知らせてくれていた。鎌倉時代にもそれほど変わらない風景の中で、人々は生活に勤しみ、お寺を訪れては踊り念仏に興じたことであろう。
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当麻山の麓には境内に入るための外門(総門)があり、その向こうに参道が続いていた。
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参道をしばらく歩くと山門に行きつく。腕木門の親柱の背面に袖をつけ、屋根をかけた高麗門と呼ばれる建築形式の簡素な門で、二脚門とも呼ばれている。
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門をくぐるともう境内である。静かなたたずまいの中に、十三重石塔があった。
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一遍上人が開山したことを示す石碑もある。
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一遍上人の句碑、
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さらにもう一つ。
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そして一遍上人像。
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芭蕉の句碑「世にさかる花にも 念佛まうしけり」もあった。
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手水鉢。境内は亀の形をした丘にあることから亀形峯(きぎょうほう)と呼ばれていらので、これに因んで「亀形水」と彫られたのであろう。
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仮本堂。明治26年の大火で二脚門を除いて焼失し、本格的に本堂を建て替えるには至っていないようである。
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庫裡(寺院の台所)。
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鐘楼。
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一代前に使われたのだろうか、梵鐘が置かれてあった。
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こじんまりとした池。季節の花の曼殊沙華が数本だけ咲いていた。
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久しぶりに快晴になったので、マイクロツーリズムをと思い立ち出かけた。相模原市の郊外の古刹を、他に参詣者もなく一人で独占することができ、一遍上人や真教上人の活動に思いをはせながら楽しい一日を過ごした。そしてコロナストレスの解消にもなり、有意義であった。

相模国一之宮の寒川神社を訪ねる

10月1日から東京都出発・到着の旅行も、GoToキャンペーンの仲間入りとなるようだ。本当に大丈夫なのかと疑われる中、昨日の朝のニュースで、推進派の人たちは社会的距離(social distance)を保てば大丈夫と主張していた。このニュースのあと、イギリスに関連した報道の中で、ロンドンの街の風景が流された。街路沿いに赤い色の旗がなびき、そこには”Keep a social distance.”と書かれていた。それを見た私は、二人のときはその間は一つ、三人以上の場合にはめいめいとの間は複数になるので、”social distance”は可算名詞だねとぼそっとつぶやいた。それを聞いていた妻は、納得できないらしく、社会的距離は抽象名詞じゃないのと返してきた。社会的距離を散らばっている状態と認識しているようだ。

ことばは人によって意味が異なることがある。それぞれの人のバックグラウンド、もう少し大げさに言うと文化が異なると、解釈が異なってしまう。エヴェレットは、その著書『言語の起源』で、言葉は正確ではなく、不正確な部分はその文化(物理学の専門用語を使ってダークマターとも彼は説明している)が補うと述べている。個を重要視する英語文化では”social distance”は可算名詞として、集団を大事にする日本語の文化では「社会的距離」は抽象名詞として扱っていると見なすと、文化の違いがこのような些細なところにも表れていることが分かり、清少納言ではないが「おなおかし」ということになる。

テレビでひっきりなしに流されるGoToキャンペーンに刺激を受けたわけではないのだが、久しぶりにマイクロツーリズムをと思い、相模国の一之宮を訪ねることにした。相模国は、横浜・川崎を除いた神奈川県の地域で、境川武蔵国との内陸部の境界になっている。国府の所在は不明、国分寺国分尼寺は海老名市に、一之宮は寒川神社と呼ばれ、寒川町にある。これらは、相模川に沿って造られたようで、南北に9kmほど離れている。
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相模や武蔵などの令制国には、一之宮、二之宮、三之宮などと呼ばれる神社が存在する。これらは、律令時代、国司が任官したときに、神拝する順番を示したものと言われている。相模国の一之宮は、鶴岡八幡宮も共に加えられていた時期もあるようだが、先に述べたように寒川神社である。ちなみに武蔵国には一之宮が二社あり、一つは多摩市の小野神社、もう一つはさいたま市氷川神社である。

寒川神社の最寄り駅は、茅ヶ崎と橋本を結ぶ相模線の宮山駅である。電車の旅を楽しみたいところだが、相模線に至るまでの田園都市線小田急線は混雑していることが予想されたので、それは避けたいと考えて、自家用車で参拝した。それでも雰囲気が知りたくて、散歩がてら寄ってみた。宮山駅は、単線のコンパクトな造りの駅であった。

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30年前までは気動車が使われていて、首都近郊のとてもローカルな線というイメージが強かったが、今は電車。
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それでは寒川神社に参拝することにしよう。境内の入り口には三の鳥居があり、ちょうど例祭のための提灯を立てかけるところで、鳥居をくぐれなかった。
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鳥居の右隣りは神池
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この神社では、毎年8月15日に世界の平和を祈念して相模薪能が実演されるそうだが、演目の一つの石橋(しゃっきょう)像があった。何とも怖い顔をしており、睨みつけられているようで恐ろしかった。
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境内の参道。コロナウイルスの影響だろうか、参拝者は殆ど見受けられない。
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参拝者が身を清めるために手水を使うための手水舎
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神社を守る狛犬
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狛犬は一対なので、その片割れと社務所
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立派な神門、神社に設けられた門である。
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振り返って神門を再度見る。
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寒川神社の御本殿。ここは、方位の吉凶を判断してくれる八方除の祓いをしてくれるところでもある。右側の人が集まっているところに、渾天儀(こんてんぎ)のレプリカがあるが、残念なことに写真を撮り損ねた。
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御本殿に近づいてみる。
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お客さんを接待するための客殿。絵馬やお守りなどが売られていた。
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近くには、末宮の宮山神社がある。
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宮山部落の人々が、第二次世界大戦終了20年後に、平和を願って建立した平和の塔もある。
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寒川神社には、初孫が誕生したときに訪れたことがあるが、そのときは多くの人でにぎわっていて、神社の趣を楽しむことができなかった。今回の訪問は、夏の日差しが一時的に戻った風の強い日で、参拝者も限られていて、伝統的な神社をじっくりと参拝することができ、良いマイクロツーリズムであった。

おまかせボタン付きオーブンレンジで、野菜つき肉料理を楽しむ

コロナウイルスから逃れるために中断となっていた活動が、本格的にとはいかないまでも、いよいよ来月から開始されることとなり、少しずつ準備を始めている。巣ごもり中の大きな変化は、妻と競うように「お家パン」作りを始めたこと、それが高じて本格的になったことだろう。毎朝、食前にはその日の作品が登場した。簡単なところでは、お手軽パン、ベーコンやチョコチップを利用したねじねじパン、ベーコンとチーズ入りのドデカパン、高度な技術を必要とするところでは、フランスパンやクロワッサンである。
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何回か失敗を繰り返すうちに、家庭用のオーブンレンジでは限界があることを知り、これ以上は道具の関係で無理なのかとあきらめていたところ、段違いに熱容量が高いオーブンレンジが東芝から売り出されたことを知った。

今まで使っていたオーブンレンジは10年前のもので250℃まで加熱できる。東芝の新製品はなんと350℃まで加熱可能である。これならば、プロにも負けないフランスパンが作れるのではと思い、思い切って購入した。期待した通り、もっちりふわふわの中身と固い表皮の、味のいいフランスパンが焼きあがった。しかしまだ大きな課題が残っていて、フランスパン独特の表面の切れ目(クープ)が綺麗に出来上がらない。もう少し修行して、素晴らしい切れ目が得られるようになったら紹介することにして、今日のブログでは、賢くなったオーブンレンジを話題にしよう。

オーブンレンジでは、添付のレシピに合わせて食材を用意することを強いられるので、不便と感じることが多い。冷蔵庫にあるものを適当に取り合わせて、料理できればよいのにとときどき思っていた。このような要望を今回のオーブンレンジは叶えてくれる。その名も「石窯おまかせ焼き」。角皿に食材をのせて、おまかせボタンを押しさえすれば、数十分後には出来上がりである。

早速試してみた。冷蔵庫から、ありあわせの豚のスペアリブ、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、パプリカをとりだし、野菜類は一口大に切った。そして、醤油(大匙3)、酒(大匙2)、砂糖(大匙2)、ニンニク(一片)で味付け汁を作り、スペアリブを1時間ほどこれにつけた。そのあと、スペアリブを角皿の中央に配置し、それを囲うように野菜をのせた。玉ねぎは焦げるのを防ぐために、アルミホイルで包んだ。仕上げに、スペアリブをつけた味付け汁を野菜にまぶした。
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オーブンレンジの下段に角皿をいれ、「おまかせ」ボタンを押して待つ。
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30分たったころに焼き上がり、食べごろになっていた。
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もう一つ素晴らしいと思った機能は、インターネットを介してスマホからオーブンレンジに、調理の方法と時間を指示できることである。これまでのオーブンレンジでは、添付冊子のレシピに限定され、新しいレシピを付け加える楽しみがなかった。しかしこのオーブンレンジは、インターネットでスマホとオーブンレンジがつながり、スマホからの外部操作が可能である。このため、新たに開発されたレシピをスマホに読み込むだけで、利用できるようになるので、新しいレシピをどんどん付け加えられるという利点がある。

これらの機能を活かして、これからも美味しい料理にトライしようと思っている。

ドライトマトを用いたラムチョップの煮込み

8月になってやっと梅雨が明けたと思ったら、いきなり耐えきれないほどの暑い日が訪れ、そのあとずっと続いている。先ごろのニュースによれば熱中症での死亡者が昨年をすでに上回ったそうだ。この暑さに耐えるために、我が家では夜中でもずっと冷房をかけっぱなしである。コロナウイルスとともに、環境保護に努めていない人類に対する警告だろう。

このような中、相変わらず不自由な生活を続けている。涼しいうちに散歩をしようと決めて、明るくなる前に起き、日の出とともに近くの川沿いを1時間近く歩く。マスクは、人と行き合うときだけ装着するようにして、近くに人がいないときは付けない。同じような考え方の人が多く、ひと頃の警戒心は薄れたようだ。

散歩中はTEDのブログを聴いている。TEDは世界的で大規模な講演会であるテド・カンファレンスを開催している非営利団体で、講演会の内容はインターネットで無料配信されている。様々な分野の人のプレゼンテーションを聴くことができるが、とくに普段聴くことができないような著名人の講演も含まれているので、とても有益なブログである。

今日聞いた中で印象に残っているのは、『ビッグヒストリー われわれはどこから来て、どこへ行くのか――宇宙開闢から138億年の「人間」史』の著者であるデヴィッド・クリスチャンである。熱力学の第2法則は、「秩序ある状態から無秩序な状態に変化する」となっているが、それに反するように、ビッグバンが起こったあと、宇宙が誕生し、生命が生まれ、人間が出現し、複雑な社会が生み出されている。このように無秩序から秩序へと向かっているように見える複雑化の現象を巧みに説明してくれ、なるほどと納得した。また『暴力の人類史』を著わしたスティーブン・ピンカーは、その本の内容を簡潔に説明し、文明が進歩するとともに犯罪が大きく減少することを理解させてくれた。

散歩から戻ると、一休みした後、朝食の用意となる。コーヒーを湧かして、サラダを作り、その日の気分で玉子かソーセージを利用してたんぱく質の取れる料理を一品作り、パンを焼き、ホテル並みのちょっと豪華な食事を作る。これまでは朝ドラを見ながらだったが、コロナウイルスのせいで中止となっているので、ニュース番組をバックにおしゃべりをしながら食している。

朝食に使った食器を洗ったあとは静かに読書。疲れてくると字面を追うだけになってしまうので、そのようなときは10分程度軽く睡眠をとって再度の挑戦。今日は久留島典子さんの『一揆戦国大名』の中で、戦国領主となっていく過程の部分を読んだ。先日、天野忠彦さんの『室町幕府分裂と畿内近国の胎動』を読んだが、内容は詳細で史料的価値は高いのだが時代背景に関する学問的な考察に乏しく興味を持てなかった。久留島さんのは組織の変化が起きた原因を適格に説明してくれていて感心した。散歩のときに聴いた複雑化の状況が、室町時代の社会の中でも起きていることが理解できて楽しかった。

お昼は妻の担当なので、ありがたいことに、昼食までは自分の時間を十分に楽しむことができる。お昼のあとは、続けて読書をするか、Amazon PrimeあるいはWOWOWで映画を見て過ごす。今日はこのブログを書いている。夕飯は気が向けば作ることになっている。今日紹介するのは、昨日作った料理の紹介である。多くの人には珍しいと思われるであろうドライトマトを利用した料理である。これは、少し長細い形をした酸味の強いイタリア産のトマトを乾燥したもので、パスタ料理に使われることが多いようだが、今日はラムチョップの煮込みに使ってみた。

ドライトマトはちょっと手に入りにくい。今回はカルディで購入したが、あまり売れる食材ではないようで、棚の下の方、しかもその前には別の食材が置かれていて、その間に手を突っ込まないと取り出せない場所に置かれていた。以前、店員さんに尋ねてその場所を教えてもらっていたのですぐに発見できたが、そうでなければ諦めてしまいかねないところだった。

さて今回の材料は、ラムチョップ(4本)、ドライトマト(50g)、ジャガイモ(3個)、玉ねぎ(1個)、パプリカ(大さじ2杯)、塩(小匙1杯)、胡椒(適量)、酒(大さじ1杯)、マギーブイヨン(1/2個)
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それに、仲間外れにされたがオリーブ油(大さじ2杯)である。

作り方はいたって簡単で、ラムチョップの両面に焦げ目をつけたあと、野菜類と一緒に弱火でとろとろと煮込み、最後に強火にして水分を飛ばせばよい。嬉しいことに、これだけでレストラン並みの料理が出来上がる。それでは詳しい説明に移ろう。

ラムに塗り付ける香料は、パプリカ(大匙2杯)、塩(小匙1杯)、胡椒(適量)である。この日は朝食の後片付けをしたあと、香料をラムチョップにまぶし、塗り付け、胡椒をさらにまぶして、十分に味がしみ込むようにとラップをかけて冷蔵庫に保存した。
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夕方になって本作業をした。ドライトマト(50g)を熱湯に5分間つけて戻した。
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ラムチョップは冷蔵庫から取り出した。
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次は野菜の下ごしらえ。ドライトマトは1cmぐらいの幅になるようにはさみで切り、ジャガイモ(3個)は皮をむいて水に浸け、玉ねぎ(1個)は縦方向に12等分した。
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また、材料を煮るために、水(300cc)、酒(大匙1杯)、マギーブイヨン(半分2g)を用意(塩は出来上がったところで味を調整するため。今回は必要なかった)。
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鍋にオリーブ油(大さじ2杯)を入れて強火で熱したあと、ラムチョップを入れる。片面に焦げ目がついたら、ひっくり返して反対の面にも焦げ目をつける。今回はそれぞれ30秒程度だった。
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そのあと、野菜(ドライトマト、ジャガイモ、玉ねぎ)を加えてオリーブ油を絡めた。
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酒とマギーブイヨンを混ぜた水を鍋に加えて煮立たせたあと、弱火で30分間、ジャガイモが柔らかくなるまでとろとろ煮込んだ。
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強火にして水分を飛ばす。今回は5分間であった。
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お皿に盛った。
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これが今日の食卓。ワインは、南オーストラリア州マクラーレン・ベール産。ワイナリーは、ダーレンベルグ(かつてこの近くに住んでいてよく訪れた懐かしいところ)、種類はロゼ。そしてパンは自家製である。
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ドライトマトは、袋に書かれている説明に従って、熱湯につけて塩を抜いたのだが、日頃薄味に慣れているためか、しょっぱすぎると感じた。もう少し塩抜きに時間をかけた方が良かった。この点を除けば、ラムチョップは味が染みていて美味しく、ジャガイモも柔らかくほかほかで素晴らしかった。

家庭用のオーブンレンジでフランスパンを焼く

コロナウイルスとの戦いに対して、背反する政策が、政府と東京都から打ち出され、都民の対応は混乱したようである。自粛を求める都の政策に天気が加担したのであろうか、本来ならば東京オリンピックを迎えて輝いていたはずの4連休は、梅雨の典型的な空模様となり、旅行に向かおうとする人々の気分に水をさした。都の政策に素直に従うにしても、一日中家に引きこもっているのは、不健康で、ストレスをため込んでしまいそうである。少しでも楽しいことをと思って、先ごろから始めた生地作りをさらに一歩進めることにした。これまでに「ねじねじパン」やラザーニャに取り組んできたが、今回は難関の「フランスパン」に挑戦した。

フランスパンは、その名の通りパリ発祥で、日本のパン屋さんでもおなじみのものだ。パンの表面はとても硬く、片手で持ったとしても中折れすることはない。しかしクラム(crumb)と呼ばれるその中身は対照的に柔らかい。材料は、小麦粉、酵母、塩、水からなり、とても単純な構成であるが、その分だけ技量が問われる。これがうまく作れるようになれば、一人前のパン職人と見なされるそうだ。コロナウイルスによって与えられたあり余る時間をこの難題に充ててみようと、無謀にも試みた。

前の記事で説明したが、グルテンの多寡によって、小麦粉は強力粉と薄力粉に分けられる。グルテンは、弾力を与えるたんぱく質で、弾力を必要とするパンには強力粉が、そうではないクッキーやケーキには薄力粉が用いられる。しかし粉専門店には、これ以外に準強力粉と呼ばれる、フランスパン向きの弾力を少し抑えた小麦粉がある。

美味しいフランスパンが作れるかどうかは、グルテンの粘り強さを引き出せるかどうかにかかっている。それは、粉類を混ぜたあとでのこねる作業で手を抜かないことである。この他にも、①こねたあとの一次発酵において、時間をかけてボリュームのある生地を作ること、②二次発酵前の成型という作業で、ボリュームを維持したまま、形よくまとめることが必要とされる。

今回は、失敗を重ねた後の4度目の挑戦である。ここに至るまでに「おうちで作る一番簡単なフランスパンストレート法」「(タッパで作る熟成フランスパン)家庭のオーブンでも焼ける!パリッともっちりのバケットの作り方」「フランスパンづくりに挑戦!」などを参考にして、作り方を学んだ。低温で長時間かけて熟成するとおいしいフランスパンができるということであったが、残念なことに我が家のオーブンレンジは10年前のもので、発酵機能こそ備わっているものの、発酵温度は35℃と40℃である。最近は30℃という低温のものもあらわれ、ブログにはこれを用いるとよいと紹介されている。ここで買い替える訳にもいかないので、古くなったオーブンレンジに鞭打って、調理時間を調整し、活躍の機会を与えることにした。

材料は、準強力粉のリスドォル(200g)、水(140g)、グランドの塩(4g)、赤サフのインスタント・ドライイースト(1.4g,小匙半分程度)である。
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ボールに水を入れ、さらにリスドォルを加えて、粉っぽい所がなくなるまで、ヘラで混ぜ、室温(27℃)で30分間休ませた。このように放置する方法は、何とも恐ろしい意味を持つ単語なのだが、オートリーズ(autolyze: 自己融解)と呼ばれている。f:id:bitterharvest:20200726123558j:plain
オートリーズのあと、ボールにさらにドライイーストを加えてしっかり混ぜた。
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同じように塩を混ぜた。
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手のひらの手根(手首近くの盛り上がった部分)を使って、前方に押し出すようにして、15分間こねた。このときは、発酵しないように、室温を22℃に下げた。
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生地は薄い膜を作れるほどに粘り強くなった。
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次は一次発酵である。オーブンレンジの発酵機能を用いて、35℃で45分間の発酵を3回ほど繰り返した。発酵と発酵の間にはパンチと呼ばれる作業を加えた。詳細は次の通り。
まず、こねた粉をボールに移す。
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オーブンレンジで45分間発酵させる。
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ボールを逆さにし、発酵した粉を取り出す。
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両側から1/3のところで折り込んで生地をまとめる。このとき、生地の柔らかさをそのままにするため、押し付けてはいけない。
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ひっくり返し、裾をまとめるようにして、生地のかたちを調える。これが、ガスを抜くためのパンチ(punch)と言われるもので、かつてはパンチを食らわせるように作業したそうだ。しかし今日ではガスを抜くよりも、ボリュームを増やすことが優先されるようになり、イースト菌への空気の補充が主目的になったとのことである。
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そしてボールに移した。
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オーブンレンジで再度45分間発酵させ、取り出した。
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同様の作業をして、丸く整えた。生地の柔らかさを保つことは同じである。
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またまたボールに移した。
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3回目の発酵。時間は同じく45分間。随分と膨らんでいることが分かる。
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試しに打ち粉をつけた人差し指を差しこんでみた。指を抜いたあとの穴がそのまま保たれたので、発酵がうまくいったことを確認でき、一安心した。
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つぎは分割作業だ。お店で売っているフランスパンのように長くするのではなく、扱いやすくするために小さめのフランスパンを目指し、生地を3等分した。
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それぞれが100~110gになるようにし、きれいな部分が外側になるようにして、両側から丸め込むようにして棒状にした。長さは手のひらを少し超えるくらい。
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室温(27℃)で30分ほど休ませた。少し膨らんだことが分かる。
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次は成型。生地の一つを取り出す。
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生地の側面を伸ばして四角にし、上から1/3で折り込む。折り込んできた先が真ん中あたりに来るので、指先で軽く押し込んで、生地がまとまるようにした。
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さらに、下から1/3に対しても同じことを行った。
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真ん中から半分に折り、両端を挟んで止めるようにして生地をくっつけた。
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押すようにして転がし、棒状にした。
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クッキングシートで挟んで、上部をホッチキスで止めた。
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35℃で35分間の二次発酵を行った。クッキングシートの上部を切って生地が見えるようにし、カッターで真ん中に切れ目を入れた。
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230℃で23分間焼き上げた。
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表面はパリッとし、内部は柔らかい感触の美味しそうなフランスパンができあがった。
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フランスパンの特徴の一つは、上部に焼くときに出来上がるクープ(表面の割れ目のような模様)だが、焼き上がりを見ると綺麗とは言えない。剃刀の代わりにカッターを用いたことも原因の一つだが、家庭用の小さなオーブンレンジでは難しいとも言われているので、今回はこれで我慢しておこう。焼き上がったフランスパンは、この日の夕飯で食したところ、お店のパンにも負けないほどの美味しさであった。次の目標は、もう少し見てくれのよいフランスパンが作れるようになることである。今回はクッキングシートを用いて二次発酵前の作業をしたが、クッキングマットを購入したので、次回はこれを用いてその効果をみたいと考えている。

追:オーブンレンジの発酵時間を30℃に調整できる場合には、一次発酵での45分を1時間に、二次発酵の35分を45分にするとよい。

クルミのねじねじパンに挑戦

コロナウイルスはとても正直だと思う。人と人の接触を制限すると収束し、大丈夫と思って規制を緩めると広がる。休戦のときがあるのではと儚い期待を抱いたが、最近の様子を見ると叶わぬ夢になりそうである。巣ごもりの状態が間断なく続きそうな気配さえ感じられるので、家で楽しめることを増やそうと思い、パン作りを始めた。これは、妻の大学時代の仲間内で話題になっていた「おうちパン」がきっかけである。

パン作りは、①生地作り②一次発酵③生地の分割④休ませ⑤成型⑥二次発酵⑦焼成⑧出来上がり、という複雑な工程から成り立っている。素人には手間がかかりすぎるので、材料を投入すればあとは自動的に作ってくれる便利なホームベーカリーもあるが、これでは目的に合わない。吉永麻衣子さんのおうちパンのレシピは、このような需要にこたえるものである。

パン作りに必要な材料にイースト菌がある。これはパンの生地に含まれている糖を栄養源に発酵する酵母で、発酵のとき炭酸ガスとアルコールを発生し、生地を膨らませる。イースト菌には「生イースト」と「ドライイースト」があり、発酵力が強く安定しているのは生イーストであるが日持ちしない。このため家庭ではドライイーストが好んで使われる。今回用いたのもドライイーストで、フランスのサフ社製のものである。この会社からは、糖分の少ない生地向け(糖分が12%以下)でビタミンCが添加されている赤サフ、ビタミンCが添加されていない青サフ、強い糖分にも菌が耐えられる(12%以上)金サフの三種類が提供されている。

今回用いたイースト菌は赤サフである。そして先に説明した一次・二次発酵を要するスタンダードな方法ではなく、吉永さんの動画やブログに頼りながら、冷蔵庫の中で8時間以上寝かせる低温発酵・長時間熟成でパンを作った。

材料は、
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昨今、家庭でパン作りに励んでいる人が多いらしく、赤サフのインスタント・ドライイーストの少量タイプは売り切れで、500g入りのものしか店頭になかった。1回のパン作りに2g使用するので、これだと25回もトライすることが可能で、我が家の食卓は自家製パンがずっと続くことになる。幸いなことに冷凍庫で保管すると1年以上も持つということなので、楽しみながら食べられるようにと示唆に従った。

内訳は、強力粉(130g)、全粒粉(50g)、サトウキビ糖(10g)、 塩(3g)、 インスタント・ドライイースト(2g)、ローストのクルミ(40g)、水(150g)である。全粒粉は麦の表皮・麦芽・胚乳の全てを粉にしたもので、今回はライ麦にした。これを用いるとパンは茶色になる。塩によって味が左右されると説明されていたので、少し凝ってグランドの塩を用いた。
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クルミはみじん切りに、
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粉類はボールに移したあと混ぜ、水を8割程度加えて練った。
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一様に混ざったところで、残りの水を加えてさらに丁寧に練り、
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クルミを加えて混ぜた。
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タッパーに移して、冷蔵庫で一晩寝かせ、
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翌日の朝取り出した。前日と比較すると、膨らんでいるのが分かる。
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打ち粉の代わりにサトウキビ糖で表面にまぶし、その量は表と裏で合わせて30g程度にした。甘味を強くするときは50g程度と吉永さんのブログにあった。
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生地とタッパーの間にヘラで少し隙間をつくり、タッパーを逆さにして生地を落とし、そして裏面にもサトウキビ糖をまぶした。
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三等分にし、それぞれを手で転がして棒状に、
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さらにねじった。オーブン皿に移し、200℃で10分焼いた。
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出来上がり。
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もっちり感のあるパンが出来上がり、サラダ、ソーセージ、コーヒーを仲間に加えて朝食を楽しんだ。パン作りの要領がつかめたので、種類を変えてトライしようと思っている。

横浜市農村生活館みその公園『横溝屋敷』を訪れる

家にこもっての読書にもさすがに飽きてきて、毎日の散歩で行く場所よりも離れたところに行きたいという衝動にかられ、横浜市鶴見区にある古民家を訪ねてみた。東横線大倉山駅から歩いて25分の距離だが、コロナの流行が下火になったとは言えないこの時期に、電車は避けたいと躊躇し自家用車でとした。
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あらかじめパソコンで調べると、この春に開通した横浜北西線を利用すれば40分弱の場所であった。カーナビに目的地をセットして走り出したところ、16号線のバイパスを利用するようにと指示された。ここは首都圏でも最も渋滞する道として知られているところなのになぜと怪訝し、逆らってパソコンが教えてくれた北西線の入り口である青葉インターチェンジを目指して、国道246号線を東京方面に向かった。

おかしなことにカーナビは青葉インターチェンジに近づいても高速道路に乗るようには指示してこなかった。奇妙だとは思ったが、初志貫徹で高速道路に入ると、カーナビから道が消えた。新しくできた道路なのでカーナビの方が対応できていなかったのである。

新横浜を通り過ぎて横浜北線に入ったところからカーナビは再び活動を始め、岸谷生麦で降りるようにと指示してきた。行き過ぎではと思っていると、馬場という出口表示が高速道路に現れた。ここだろうと思ったが、カーナビにこの出口は表れない。仕方がないので通り過ぎて、カーナビの指定通りに岸谷生麦で降りたが、やはりかなりの回り道となってしまった。

あとで判明したのだが、馬場の出入口もこの春設置されたため、カーナビは対応していないことが判明した。出発前に分かっていれば、スマホの地図案内を利用したのにと思った次第である(ちなみにアメリカでレンタカーを利用するとカーナビはついていない。多くの人がスマホの地図案内を利用するためである)。

回り道をしたがそれでも1時間足らずで目的地の「みその公園『横溝屋敷』」に到着した。横溝屋敷は、幕末から明治時代中期に建てられた、江戸時代農村の原風景を残す建物群である。横溝家は、16世紀末の慶長年間から獅子ヶ谷村の名主を務め、代々五郎兵衛と名乗った。今昔マップで明治39年の土地利用を見ると、鶴見川に沿って水田が開けていることが分かる。横溝家は、図中の赤丸の位置にあり、谷戸への入り口に面していて、公園の名称ともなっている御園(みその)と呼ばれた一等地に住んでいたそうである。
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国立歴史民俗博物館のデータベース「旧高旧領取調帳」で調べると、獅子ヶ谷村の旧領名は久志本左京(110.8石)、小田切愛之助(199.1石)となっているので、この村は2名の旗本による相給であったことが分かる(この取調帳は幕末期頃の村落の実体を示す)。

また新編武蔵風土記稿は獅子ヶ谷村を紹介し、最後に「旧跡小田切屋敷跡」に触れている。そこには、慶長年間まで小田切美作守が久しくここに住んでいたが、江戸に召し出され、ここを知行地とした後、現在の里正(五郎兵衛)の先祖に一部を与えたと記されている。現在の横溝屋敷の場所が小田切屋敷跡という保証はないが、もしそうだとすれば屋敷の後ろの小高い丘は殿山となる。
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ちなみにこの村の人口は、文政10年(1827)38軒226人、安政2年(1855)39軒224人、明治3年(1871)42軒278人と推移した(今年1月の人口は7191人)。石高は正保年間(1645-48)244石余り、天保明治元年(1831-69)309石であった。

それでは横溝屋敷に入ってみよう。最初は屋敷への入り口となる長屋門である。背景に小高い山があり、緑に囲われた旧家であることを伝えてくれた。
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長屋門をくぐり抜けると、正面にどっしりと構えた主屋が現れた。先日の薬師池公園の永井家と比較すると、とても大きい。
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その横には蚕小屋が並んでいた。明治の初めごろにこの地方でも養蚕が盛んだったことを伺わせてくれる。
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主屋の中は、部屋は広々とし、柱は太く、明るい。住み心地は良さそうに思えた。
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主屋と蚕小屋
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外に出ると竹林、またこの時期は紫陽花が美しい。
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主屋の2階は養蚕に使われていたそうだが、今は展示室となっている。一生懸命に勉強したのだろうか、論語の本の横に和算の本が並んでおかれていた。
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この家の住人が書いたのであろうか、屋敷の風景画も、
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さらには家の模型も、
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2階から眺めた長屋門
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半夏生(はんげしょう)だろうか、庭先にあまり見かけない花を見かけた。
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買い物をする都合もあり帰路は一般道を利用したが、幸いなことに新設の道路はなく、カーナビは役に立ってくれたが、カーナビの地図更新もすでに有料になっているので、どうしたものかと思い悩んでいるところである。

日本の歴史公園100選に選ばれた薬師池公園を訪れる

中先代の乱の古戦場「井手の沢」のあとに訪れたのは薬師池公園、2007年には「日本の歴史公園100選」にも選ばれた町田市を代表する公園で、季節に応じて、梅、椿、桜、花菖蒲、古代ハス、紅葉などを楽しむことができる。いまの時期は花菖蒲と紫陽花である。

公園の名称にもなっている薬師池はかつては「福王寺池」と呼ばれたそうで、この池は戦国時代に農業用の溜池として開発された。この地域の支配者であった北条氏照が、天正5年(1577)に、野津田の武藤半六郎(河井家祖先)に印判状を下し、天正18年に溜池は完成した。

北条氏照は、後北条家3代目氏康の子で、4代目氏政とは同母兄弟である。氏照は大石家に養子に入って大石源蔵氏照と名乗り、滝山城主となる(1563~67の間に)。武田信玄との戦い(1569年)で敗れたのち北条に復姓する。父の氏康が死去(1571年)、遺言に従い兄の氏政が、上杉との同盟を見限り武田と同盟を結んだため、今度は上杉謙信と戦うことになる。謙信没後(1678年)に上杉家では家督争いが生じ、紆余曲折の末、上杉と武田が和睦し、氏政は武田との同盟を破棄する(このときは勝頼、信玄は1573年に死去)。武田勢からの攻撃に備えて、氏照は八王子城を構築し(1581年)、のちに移る。豊臣秀吉の小田原攻め(1590年)のとき、小田原城に駆けつけ籠城し戦うが敗北、自刃した。

氏照の略歴からも分かるように、薬師寺池が開発されたのは、戦いに明け暮れていた時期で、領主も百姓も溜池の開発どころではないように思える。その理由を知りたいところだが、公園の案内にはない。ほかにも調べてみたのだが、開発の経緯に関わる資料を見つけることができなかった。その代わりと言っては何だが、どのようなところを開発しようとしたのかを知りたくて、埼玉大学教育学部谷謙二さんの「今昔マップon the web」で調べてみると、明治39年(1906)には下図のようになっていた。
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上部(北)が鶴見川、中央のやや下の窪んだところが薬師池である。拡大したのが下図である。薬師池から北の鶴見川に向かって、細く長い谷戸が形成されていて、それに沿って水田が開かれているのが分かる。池から鶴見川まではおよそ1㎞ほど、谷戸の幅はあまり広くはない。ここからの収穫量がどれだけあったのかが気になるが、農業用水確保のための開発に見合うだけの利益はあったのであろう。
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薬師池は、宝永4年(1707)の富士山の噴火により泥砂で埋まり3年かけて除去、また文化14年(1817)にも埋まったため掘り直したそうだ。昭和51年(1976)に薬師池公園として開園した。

現在の薬師池公園は下図のように、薬師池を中心に大きな公園になっている。2ヶ月前の4月17日には、薬師池公園四季彩の杜西園(地図では薬師池公園の下の方になる)がオープンしたが、コロナウイルスの影響を受けて、その催しはひっそりと行われたそうである。
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我々はオープンしたばかりの西園から入場し、薬師池公園へと向かった。尾根道を越えてしばらく行くと展望が開け、紫陽花や花菖蒲が見事に咲いていた。
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公園の中には水車も、
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趣のある薬師池、
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重要文化財の旧永井家住宅。多摩ニュータウンの建設に伴って、町田市小野路より移築された。建築年代ははっきりしないものの、1600年代末ごろのものと考えられている。建物の幅15m、奥行き8.8m、寄棟造、茅葺で、窓や出入り口が少なく、薄暗い閉鎖的な建物である。
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内部に入ってみる。敷居をくぐると大きな土間がある。典型的な農家だと思ったのもつかの間、ヒロマが竹の床なのを見て一瞬たじろいだ。この上にむしろを敷いて利用するのだろう、何とも居づらそうな空間で嫌だと感じた(後で分かったが、竹簾子床(たけすのこゆか)と呼ばれる)。これも後で分かったことだが、この他にヘヤとデイと呼ばれる小さな部屋があり、ヘヤは竹の床、デイは板敷きだそうだ。この家のような間取りは、「広間型三間取り」と呼ばれ、居間(ヒロマ)、寝間(ヘヤ)、客間(デイ)の3間で構成されている。
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野津田薬師と呼ばれている薬師堂。天平年間(729~749)行基の開基と伝えられ、現存する薬師堂は明治16年(1883)に再建されたものである。
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もう一軒の古民家、江戸時代末期に医院兼住宅として建てられた旧荻野家住宅。木立に囲まれた武蔵野らしい風景で、気に入った。
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最後は少し急ぎ足になったが、思いもかけず、この時期の美しい花々を見ることができ、充実した一日となった。季節を変えてまた訪れたいと思っている。

中先代の乱の戦場「井手の沢(菅原神社)」を訪ねる

東京都のコロナウイルス感染者は特定の場所に限定されているようであり、都下のはずれに感染者がいるはずもないと考え、空っとよく晴上がった17日に、近くの歴史遺跡を訪れた。

その場所は、町田市の菅原神社。この場所は、鎌倉幕府が終わり、建武の新政が成った翌年の1335年に、鎌倉幕府の復活を目指した北条時行が戦をしたところである。この戦いを含め、時行が鎌倉を支配するまでの一連の戦いは、中先代の乱と称せられる。鎌倉を支配した先代(北条氏)と後代(足利氏)との間にあって、わずかな時期ではあるが(20日間)支配したことからこのように呼ばれる。

北条氏が滅亡したあと、鎌倉幕府最後の執権高時の遺児の時行は信濃に潜伏したが、御内人(みうちびと)の諏訪頼重によって擁立され、鎌倉を目指した。武蔵国に入って、女影原で渋川義季・若松経家を、小手指ヶ原で今川範満を、武蔵府中で小山秀朝を打ち破り、現在は菅原神社となっている「井手の沢(井出の沢とも書かれる)」で足利直義(ただよし)と決戦に臨んだ。下図には、時行がたどったであろう、女影原(図では霞野神社)から井手の沢(菅原神社)を経て鎌倉へ至る鎌倉街道上道を示す。
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この当時、鎌倉には後醍醐天皇の皇子成良(なりよし)親王を長に直義を執権とする鎌倉将軍府が設置されていた。時行は、井手の沢に出陣してきた直義を破り、直義は、成良親王や尊氏の嫡子の義詮(よしあきら)らと鎌倉を落ちた(このとき幽閉されていた護良親王は殺害される)。時行は鎌倉に入り、短期間ながら支配した。

この後、尊氏は後醍醐天皇から征夷大将軍の号を与えられなかったにもかかわらず出陣し、直義と合流して勢力を盛り返し、時行を鎌倉より追い出した(その後の時行は、後醍醐天皇から赦免され南朝方の武将として戦っている)。

井手の沢にはいまでは菅原神社が建っている。この神社は鎌倉街道に面し、その裏手に井手の沢の碑があり、背面には由緒書きが残されていた。
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新しい説明書きもあった。
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その周辺はちょっとした木立となっていた。
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鎌倉期の歌謡、宴曲抄「善光寺修行」には、井手の沢について、「かれいい(乾飯)食うべしいにしえも、かかりし井手の沢辺かとよ、小山田の里に来にけらし」と詠まれている。きれいな水が湧きだし、弁当の干し飯を食べるのに都合のよい場所であったようだ。いまでも水が湧いているのだろう、御神水の碑があった。
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菅原神社の由緒は以下の通り。
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室町時代に大沢左近正次が京都北野天神に詣でたときに得た天神像をこの地に奉安したのが始まりで、江戸時代の初期、その子孫の大沢玄蕃(げんぱ)が新たに天神像を奉安し、享保7年(1722)に本殿が再建、天明5年(1785)に社殿が造られたとのことである。平成24年に竣工した社殿はなかなか立派な建物である。
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平成29年に竣功した参集殿、
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雅楽などの芸能を神様に奉納する神楽殿
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火伏の神様を祀る愛宕社と狛犬
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最後になったが鳥居。
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とてもこじんまりとした歴史散歩ではあったが、久しぶりの外出を楽しむことができ満足した。さらに近くに公園があることを思い出し、今の時期にはあじさいがきれいに咲いているだろうと考えて、立ち寄ってみることにし、古戦場跡を離れた。

チキンライムアフリカ風

またまた手軽に作れるチキン料理の紹介である。前のレシピもそうだったが、今度のレシピの出どころは、堤人美さんの『こんがり焼くだけレシピ』である。この本には、野菜と、野菜・肉あるいは魚介とを組み合わせた料理、いずれもがオーブンあるいはトーストで焼く料理が紹介されている。焼く時間が分かりやすく表題のところに書かれているので、調理時間の目安もつけやすい。その中で、アフリカ風というのが変わっていて面白そうだったので、トライしてみた。

必要な材料はやはりシンプルで、写真のようにこれだけ。鶏もも肉が主である。
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鶏肉に味をつけるためにマリネ液を用意した。これには塩(小匙1/2)、胡椒(少々)、ライムのしぼり汁(100ml、2個分)、ニンニクのすりおろし(1かけ)、ハチミツ(大匙2)である。ライムは写真のように1個しか購入しなかったので、冷蔵庫の中にあったレモンで残りの分は代用した。
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鶏もも肉(2枚)をマリネ液につけ、冷蔵庫で2時間寝かした。
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焼きあがった鶏肉の上に乗せるししとうがらし(6個)を小口切りにした。
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アルミホイルを敷き、皮の部分が上に来るようにして鶏肉を並べた。
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このような感じに焼きあがった
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鶏肉を角皿に移し、その上にししとうがらしを添え、チリパウダーをふった。さらに角皿に残っている焼き汁にナンプラー(大匙1/2)を混ぜた液をさらにかけた。
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オーストラリアに滞在した頃、辛みと甘みが混じったタイ料理をよく食し、南国の料理を楽しんだ。今回の料理にも、ハチミツやチリパウダーを用いたので、同じような味なのではと想像していたが、食してみるとと薄味で、それぞれの甘みと辛さがやっと感じられる程度であった。もう少し、味を強くした方が良いようにも感じたが、楽しめる料理であった。

鶏肉のプチ塩釜焼き

コロナウィルスによる自粛が解除される中、外に飛び出す人も増えてきているようだが、もう少し様子を見極めたほうがよさそうに思えるので、家での料理作りをしばらく楽しむことにした。前回は4日もかかる長丁場のラザーニャに挑戦したが、今回は簡単に作れる鶏肉料理にした。

かつて大量の塩の塊で鯛を包んで、蒸焼き料理を作ったことがある。これは塩釜料理と呼ばれるが、あまりにも大量の塩を用いるので、何となく無駄な料理だとその時感じた。今回は、塩の量を節約したプチ塩釜料理を作ることにした。そして鯛ではなく、作るときも食べるときもハンドリングが良い鶏肉を用いることにした。

今回の材料はこれだけである。ラザーニャと比較すると、食材も香味料もとても少ない。
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最初に塩釜を作った。全体ではなく、一部を覆うだけのプチ塩釜である。材料は塩(80g)、卵白(1個分)、ローズマリー(1枝)で、ローズマリーは枝からそいで葉の部分だけを用いた。
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これらを一緒にし混ぜ合わせた。
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アスパラガス(6個)の下端を落とし、下部に切り目を入れた。
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角皿にアルミホイルを敷き、オリーブオイルを少し垂らし、手羽元(10個)を並べた。
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手羽元に均等になるように塩釜(それぞれ小匙1と少々)をのせた。オーブンを200℃にして15分ほど焼いた。
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アスパラガスを角皿に加えて、さらに15分焼いた。その間に食するときに添えるレモンを用意した。
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ついでにサラダも。
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焼き上がりはこのようになった。鶏肉の上にちょっこと乗っているのが、塩釜。何とも可愛らしく思えた。しかしこれは食べてはいけない。食べる前に外さないと、とてもではないほどの塩辛さを味わうこととなる。
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暖かいうちに食したところ、鶏肉に付着したそれほど強くはない塩味とレモンの酸っぱい味が調和し、美味しく頂けた。今回の料理は、手間暇がかからず、短時間で完成するので、時間に追われているときに使うとよいと思った。

プロのレシピでラザーニャ・エミーリア風に挑戦するー仕上げ

4日間かけての調理も、いよいよ最終段階、これまでに作ってきたパスタとソースを使っての仕上げである。ここまでの作業が台無しにならないことを祈りながら、そしてレストランで味わえるような魅力的なディナーとなることを期待して、ラザーニャ・エミーリア風の締めくくりに入った。材料はもちろんこれまでに作ってきたものとパルメザンチーズ、オリーブオイルである。
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最初に、ラザニア皿にオリーブオイルをよく塗った。
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茹でたことで大きくなり過ぎてしまったパスタを、調理ばさみで整えて、ラザニア皿に敷いた。
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その上にミートソースをパスタが見えない程度に薄く敷いた。
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さらにペジャメルソースをミートソースが隠れる程度に薄く流し込んだ。
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そしてパルメザンチーズをふりかけた。食した後の感想だが、もっとたくさん振りかけて、チーズの味がもう少し出るようにした方が良かったと反省している
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さらにパスタを敷いてこの工程を繰り返す。
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そして最後のパスタを敷く。
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このあと大きなミスを犯してしまった。さらにミートソース、ペジャメルソースを敷いた後、パルメザンチーズを敷くべきなのだが、一番上はパスタで覆われるものと勝手な思い込みをして、これらを飛ばして、いきなりパルメザンチーズをふりかけ、オリーブオイルを軽く散らして、オーブンで焼いてしまった。焼く前の姿、
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焼きあがった姿は無残にも、一番上のパスタが焦げていた。
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幸いなことに、材料がたくさんあまっていたので、丸い耐熱皿にも、同じ工程で焼く前のラザーニャを用意しておいた。但しチーズを多くしてみようということで、モッツァレラチーズを一番上に加えてあるという違いはあった。
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しかしラザニア皿での失敗に気がついて、急遽、この上にソースを加え、さらにモッツァレラチーズをのせて、チーズいっぱいのラザーニャを用意し、同じように、200度のオーブンで1時間ほど焼いた。
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この日の食卓を飾ったのは、表面のパスタが焼けてしまったラザーニャであったが、ミートソースとペシャメルソースがうまく溶け合い、内部のパスタのふんわり感と混じりあって、家庭ではなかなか得ることができない、深みのある味で、素晴らしい食卓となり、妻からも好評であった。残念なことに、一番上に置かれたパスタは焦げてしまい、本来のパスタの味を提供してくれなかったものの、焼けたパスタも、歯ごたえがしっかりした美味しいパスタになっていたので、別の料理では使えるのではと予期しない成果が得られた。
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また耐熱皿で焼いたラザーニャは後日食べたが、味が染みていて美味しく、チーズたっぷりにしたので、チーズ味も楽しむことができた。
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初めての長丁場の料理作りを体験した。手順書を読み違えるミスを何か所かで犯したものの、最後までたどり着くことができ、プロのレシピと料理を楽しむことができた。これで作り方が分かったので、再度挑戦し、お客様にも饗せられるような美味しい味のそして見た目にも美しいラザーニャを作れるようになれればと願っているところである。

プロのレシピでラザーニャ・エミーリア風に挑戦するーベシャメルソース作り

ミートソースに加えてもう一つ用意しておくのが、ベシャメルソース(sauce béchamel)である。材料はこの通り乳製品が多い。ダマにならないように作るのがコツである。
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ベシャメルソースは次のようにして作成した。中火で、フライパンにバター(40g)を溶かした。
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火力を弱めて(弱火の強め)、薄力粉(40g)を加えペースト状になるまで、焦がさないように注意を払いながら炒めた。黄色の美しいルーになる。
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水で濡らした大きな鍋に移し、氷水を入れた大き目のフライパンに乗せて冷やした。
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水で濡らした別の鍋に、牛乳(1000ml)とローリエ(1枚)を加え、強火で沸騰する直前まで、温めた。
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これを、先ほどのルーが入っている鍋に一気に加え、泡だて器でかき回しながら、ぼこぼこと煮立つまで炊いて、塩と胡椒で味を調えた。
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この作業は、ミートソースを煮込んでいるときの待ち時間を利用して行ったが、全く問題なく仕上げることができた。これらの作業は午前中に行ったので、次の組み立て作業は、夕方行うことにし、しばしの休憩を楽しむことにした。