bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

坂井孝一著『源氏将軍断絶』を読む

昨年は、コロナウイルスの影響で、楽しみにしていた旅行もかなわず、「本を友にして」の生活となってしまった。ウイルスの方は、残念ながら、似たようなあるいはもっと悪い状況が続きそうで、本とはさらに仲良しになりそうだ。しかし出会った時の思い出は、時間がたつにつれて薄れてしまう。たくさんの良き友に出会っていながら、思い出せなくなってしまうことは何とも悲しい。今年も沢山の友と出会うことだろうから、それぞれの印象を書きとめておくために、このブログに新たなコーナーを設けることとした。

最初に紹介する友は、坂井孝一著『源氏将軍断絶』である。坂井さんの名前を知ったのは、新宿の朝日カルチャセンターで鎌倉時代の歴史について、本郷和人先生から学んでいる頃であった。本郷先生が『承久の乱』を上梓されたころ、ちょうど時を同じくして坂井さんも『承久の乱』を出版されるという偶然が生じた。その時に、本郷先生が二つの本を比較されたので、記憶の中に著者の名前が残っていた。

公立図書館からの新着資料案内の中に坂井さんの本を見つけ、どの様な歴史家なのだろうと興味をもち、本を取り寄せ、読んでみた。

著名が示すように、頼朝・頼家・実朝の源氏三代の将軍についての記述である。この時代の史料には、代表的な歴史書として、①『吾妻鏡』(初代から6代将軍宗尊親王までの幕府の事績記録)、②『愚管抄』(天台宗の僧である慈円が記した。父は摂政関白の藤原忠通、兄3人近衛基実松殿基房九条兼実も摂政関白、兄兼房は太政大臣。高貴中の高貴) 、がある。

貴族の日記としては、③『玉葉』(九条兼実の日記 、彼は頼朝の推挙で公卿・摂政となり、逆に頼朝は彼のとりはからいで征夷大将軍となった)、④『明月記』(公家・歌人藤原定家の日記)、⑤『猪隈関白記』(関白近衛家実の日記、 彼は近衛基実の孫)、がある。これらは史実を割合と正確に伝えていると見なされている。

その他に参考となる資料に、⑥『新古今和歌集』(後鳥羽上皇が親撰したとされる勅撰和歌集)、⑦『沙石集』(無住道暁が編纂した仏教説話集)、⑧『増鏡』(後鳥羽天皇誕生から後醍醐天皇の討幕までを描いた歴史物語)、⑨『尊卑分脈』(宮廷社会の系図)、⑩『公卿補任』(歴代朝廷の高官の名を列挙した職員録)、⑪『百錬抄』(公家の日記などの書記録を抜粋・編集)、⑪『武家年代記』(鎌倉から室町まで年表形式の年代記)、がある。

源氏三代については、吾妻鏡をベースに説明されることが多い。しかし吾妻鏡は北条政権自身が記述したものなので、北条氏にとって不都合なことは、潤色されたであろうというのが、坂井さんの見立てである。例えば、二代将軍の頼家については、蹴鞠に没頭して政務を顧みなかった暗君と印象付けられているが、本当なのだろうかというのが出発点のようである。

坂井さんは、②以下の資料を用いながら、潤色されていると思われる部分を、吾妻鏡から一つ一つはいでいき、本当の姿と思われるものをあぶりだしていく。推理小説を読んでいるような楽しみさえ感じさせてくれる本だ。

頼家については、暗君とされている記事の一つ一つに反論を加える。特に蹴鞠に対しては、我々現代人が思うような娯楽としての遊びではなく、この時代にあっては貴重な政治ツールで、重要な芸能・教養であったとして、間違った認識を指摘してくれている。

圧巻は北条義時(二代執権、政子の弟)が実朝に諌言したときの話である。吾妻鏡では、実朝が官位を挙げて昇進していくことに釘を刺して、「何もしてないのに頼朝様よりも偉くなってしまうので、大将への昇任は遠慮された方が良いのではないか」と義時が諫言した、とされている。

しかし坂井さんは、いたずらに実朝の出世欲を作り出し、貶めようとしたのではないかとみている。そして義時は諌言したのではなく、自身の昇進を申請して欲しいと実朝に願ったのでないかと読み解く。しかしこれは北条家にとってはみっともないことなので、吾妻鏡を記述した後世で、捻じ曲げたと主張している。この部分は議論の分かれるところだが、一つの読み方を教えてくれて面白い。

潤色に関わる話題では、金文京著『三国志の世界』も面白かった。三国志では、曹操は悪役として登場するが、潤色の部分をあぶりだして、曹操が名君で卓越した文学者であったことを教えてくれる。この本は、2005年に講談社から出版された「中国の歴史」のシリーズの中の一冊である。このシリーズは、驚いたことに、本場の中国と台湾でそれぞれ翻訳され、爆発的な売れ行きを見せたそうである。このこともあってか、昨年から文庫本として姿を変え、順次刊行されている。毎月、次の巻が発行されるのを楽しみにしながら、読み続けている。

最後に日本の家族制度の移り変わりについて興味を持っているので、記録のためにその部分を拾っておこう。
1)武士の家では前当主の後家の力が強い
・その要請を受けた清盛の亡父平忠盛の後妻池禪尼が(頼朝の)助命に動いた(p20左l3)。
・(頼家が当主のとき)なぜ時政は元旦の椀飯(おうはん)、遠江守任官を果たせたのか。そこには時政の娘、頼朝の後家政子の力があったと考える(p121右l3)。
2)いとこ婚
後鳥羽天皇と坊門局は坊門信隆・藤原休子の孫。後鳥羽の母は藤原殖子、坊門局の父は坊門信清で、この二人は信隆・休子の子である。後鳥羽・坊門局の子頼仁親王は実朝の次の将軍候補であった。坊門局の妹の信子は実朝の妻。この時代には珍しく実朝の妻は信子のみ(その理由も坂井さんは解いている)、子はなし。実朝が殺害されなければ、頼仁親王か雅成親王が4代将軍に就いた。もし頼仁が将軍となれば、坊門家を介して将軍家の血がつながった。

2022年のNHK大河ドラマ北条義時、坂井さんが時代考証を担当される。推理小説を読むような、ワクワク感に富んだドラマになることを期待している。