穀雨のこの時期は、雨さえ降らなければ暑くも寒くもなく、旅をするにはちょうどよい季節である。妻の長年の希望もあり、足利へ藤を見に行くことになった。この時季の藤はたいへんな人気で、目的地にたどり着くまでが一苦労だという。こうした場合、最も手軽で確実なのはバスツアーだろう。移動で疲れることもなく、添乗員から効率的な回り方を教えてもらえる利点もある。
もっとも、バスツアーにも弱点がある。必ずしも見ごろに当たるとは限らない。近年は温暖化の影響もあって、かつての常識が通用しなくなり、旅行会社にとっても出発日の設定はほとんど博打に近いという。あしかがフラワーパークでは、その不安を軽減するため、開花時期の異なる藤をそろえ、長期間楽しめるよう工夫していると教えてもらった。
一週間前の予報では旅行の二日間とも雨だったが、雨が早まったおかげで幸運にも晴天に恵まれた。今回の旅の主役は藤であるが、つつじ、ネモフィラ、八重桜、芝桜などの鑑賞も組み込まれており、いずれかが見ごろを迎えていれば楽しめるよう、旅行会社なりの工夫が凝らされていた。そのおかげで、藤以外にも季節の彩りに触れることができる旅となった。どんよりとしがちな穀雨の空気を和らげてくれるこれらの花を求めて、北関東へと向かった。
(図:行程図)
その道すがら、まず立ち寄ったのが塩船(しおふね)観音寺のつつじ園である。とはいえ、ここは北関東ではなく、まだ都内の青梅市にある。次の目的地であるあしかがフラワーパークまでは距離があるため、この季節の花を楽しめる場所として選ばれたのであろう。もっとも、この寺は単なる立ち寄り先ではなく、れっきとした名刹である。大化年間(645–650)に八百比丘尼が開創したと伝えられ、室町時代の建築がまとまって残り、本堂・仁王門・阿弥陀堂・千手観音像などは国の重要文化財に指定されている。関東八十八ヶ所、東国花の寺百ヶ寺にも属する霊場札所である。また、「塩船」という名は、周囲の地形が船の形に似ていたため、行基がこれを「弘誓の舟(ぐぜいのふね)」になぞらえて名付けたと伝えられている。
鎌倉中期に、杣保(そまほ:現在の奥多摩町・青梅市・羽村市一帯)を支配したのは三田氏である。その勝沼城に近い丘陵地に、塩船観音寺は位置し、本堂・阿弥陀堂・山門を備えた一大寺院として栄えていたようである。室町時代末期には、平将門の末裔を称し青梅地方に勢力を伸ばした豪族・三田氏の三田氏宗・政定らの深い帰依を受け、本堂・阿弥陀堂・山門の建て替えが行われた。その三田氏と親交の深かった著名な連歌師・宗長も観音寺を訪れ、連歌を楽しんだことが、紀行文『東路乃津登』に記されている。
(写真:本堂(左)、右側の上段は阿弥陀堂(右上)、下段は左から薬師堂、仁王門、招福の鐘)
こうした歴史を背景に持つ寺院だが、訪れた日はちょうどつつじが満開であった。まさに幸運というほかない。境内を覆うように急な斜面に沿って植えられたつつじは彩りも鮮やかで、朱色がひときわ際立っていた。つつじそのものは仏教と直接の関係を持つ花ではないが、朱色は仏教において生命力・浄化・歓喜を象徴する特別な色とされる。そうした象徴性を思うと、塩船観音寺のつつじ園は、まさに極楽浄土を思わせる趣であった。
(写真:塩船観音寺つつじ園)
つつじの余韻を胸に、いよいよ今回の旅の本命であるあしかがフラワーパークへ向かった。添乗員が携帯で得た情報では、平日にもかかわらず園内は大変な混雑で、食堂の利用はまず不可能とのことだった。また、園内では飲食物の持ち込みができないため、バスの中で昼食を済ませ、見学に集中するように案内された。最寄りのサービスエリアで昼食を買い、万全の備えをして、渋滞にも遭いながら目的地へと向かった。
道中、あしかがフラワーパークについて説明してくれた。ここの大藤は、もともと足利市中心部の「早川農園」にあり、1990年代の再開発に伴って移植が必要となった。当時すでに樹齢130年、棚面積600㎡、幹回り3.6mという巨大な藤で、地域の象徴的存在であった。しかし藤は幹が柔らかく傷に弱いため、幹直径1mを超える藤の移植成功例は当時の日本にはなく、「移植は不可能」とまで言われていた。その移植を引き受けたのが、日本人初の女性樹木医・塚本こなみである。現地を視察した塚本は藤の生命力を感じ、「この藤は動く」と直感して移植を決断したと伝えられている。1994年に準備が進められ、1996年に本格的な移植が行われ、翌1997年にあしかがフラワーパークが開園した。現在、大藤の樹齢は160年以上に達し、藤棚は1,000㎡へと成長し、栃木県指定天然記念物となっている。
それでは、藤の種類を咲く順に見ていこう。最初はうす紅藤である。園内に入って最初に出会うのがこの藤で、頭上から覆いかぶさるように棚から垂れ下がる姿には思わず圧倒される。
(写真:うす紅藤)
次は大藤。うす紅藤に驚いてはいけないと言わんばかりに、さらに迫力ある姿で迎えてくれる。こんなにも長く垂れ下がるのかと驚かされるが、まだ伸びる余地があり、最長で180cmにも達するという。人の身長ほどの長さになるとは、ただただ感心するばかりである。

(写真:大藤)
そして白藤。添乗員が作ってくれた案内図では白藤のトンネルに大きな印が付いていなかったため、今回は立ち寄らなかった。しかし園内で見かけた白藤は見事に咲いており、こうして文章を書きながら、見逃してしまったことを少々悔やんでいる。
(写真:白藤)
最後はきばな藤。ちょうど咲き始めたところで、これからが本番という状態であったが、すでにその雰囲気は十分に楽しむことができた。
(写真:きばな藤)
園内には藤のほかにも、この季節の花々が咲き乱れていた。あまりにも藤の存在感が強く、ついそちらに気を取られてしまいがちだが、ほかの花々もそれぞれにひそかに美を競っていた。
(写真:上段左から、ペチュニア、しゃくなげ、カラー、下段左から、デルフィニウム、こでまり、つつじ)
こうして園内を堪能したのち、次の目的地へ向かうことになったが、ここからがまた一苦労であった。バスはなかなか園周辺の渋滞から抜け出すことができなかった。ふとJR両毛線・あしかがフラワーパーク駅のホームに目を向けると、小さなホームにはあふれんばかりの人が押し寄せ、今にもこぼれ落ちそうなほどであった。その光景を見て、電車で来なくて本当によかったとつくづく感じた。
フラワーパークで二時間近く散策したため、バスの緩やかな揺れに誘われて心地よくひと眠りしたあと、ぼんやりと田植え前の水田を眺めていた。すると添乗員が、今日の最終目的地である天平の丘公園について説明を始めた。ここでは満開の八重桜を堪能する予定になっていた。現地で受けるに違いない失望を和らげるため、添乗員は開口一番、「桜はほとんど散っています」と言い放った。例年ならこの時期が見ごろだが、今年は桜の開花がとても早く、残念ながら期待できないという。
しかし、その代わりと言っては何だが、「しもつけ風土記の丘資料館がありますよ」と教えてくれた。古墳時代には、群馬・栃木地方は毛野(けの)という豪族が支配していた。奈良時代になると毛野の地域は二つに分けられ、都に近い方を「上」、遠い方を「下」とし、現在の群馬県は上野国、栃木県は下野国となった。下野国の国府は栃木市に置かれたが、国分僧寺と国分尼寺は下野市にある。これから向かう天平の丘公園の周辺に、それらの跡が残っている。このような歴史的背景を踏まえて資料館が設けられているのであろう。調べてみると、平成27年4月1日に栃木県から下野市へ移管され、令和3年5月には常設展示室の全面改修と新館の増築を経てリニューアルオープンしたという。
今年はすでに桜を十分に楽しんでいたので、下野国の歴史的資料を見ることができるなら、むしろ旅に“おまけ”がつくようなものである。そのため、本来の目的がかなわないことを悲観する気にはならなかった。目的地に着くと、八重桜に肩透かしを食ったのは我々だけではなく、公園の関係者も同じであることが痛いほど分かった。ほとんど人影のない公園に、「東の飛鳥 天平の花まつり」という少し大げさな名が掲げられ、関係者だけが来訪者を待っている。我々がバスから降りると、わっと寄ってきて、いくつかの種類のパンフレットを親切に手渡してくれた。その中には資料館の学芸員もおり、「あちらで展示をしていますから、どうぞお立ち寄りください」と丁寧に誘ってくれた。
私の関心はすでに資料館の方へ移っていたので、学芸員の案内に従って新たな目的地へ向かった。展示室はきれいに整えられ、古墳時代から奈良時代にかけての下野国の歴史が、遺物やパネルとともに紹介されていた。その中でも目を引いたのは、国の重要文化財に指定されている甲塚(かぶとづか)古墳出土の埴輪である。とりわけ機織型埴輪には強く興味を惹かれた。現代の手製の機織機も同時に展示されており、原理は古墳時代と変わらないという。古代の人々の技術力の高さを実感した。
(写真:甲塚古墳出土の形象埴輪、左上は機織型埴輪)
ついでに公園の方も散策したが、予想していたほどひどい状態ではなく、満開だった八重桜の名残をまだ随所に感じることができた。
(写真:しもつけ風土記の丘資料館(左上)、天平の丘公園の八重桜とつつじ)
こうして一日の旅程を終えた。とはいえ、バスに座って目的地に着きましたよと言われ、案内された場所を散策するだけなのだが、それでも一万歩を超えて歩いた。あしかがフラワーパークはさすがの見ごたえで、一時間半ではとても足りないほど素晴らしい場所であった。
宿泊は宇都宮駅のすぐそばで、この地の名物である餃子を味わうことにした。一品にチーズ羽餃子という少し珍しいものを選んだ。弱火でチーズをじっくり焼き上げてあり、パリパリとした食感にコクが加わってなかなか美味しかった。歩き疲れもあって、早めに床につき、明日に備えることにした。