bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

黄金色に輝く東大本郷の銀杏並木を通り抜けてダイヤモンド教授の講演を聞く

ジャレド・ダイアモンド教授の講演が東大の安田講堂で開催されたので、12日(木曜日)聴講に行った。正門から入構すると安田講堂の正面入口に向かう道の両脇の銀杏並木が、見事な黄金色に輝いていた。こんなに綺麗だったかと目を見張ってしまった。学生運動が激しい頃には、道の両側には大きな看板が立ち並んでいて、別の意味で訪れる人を驚かした場所である。時代の流れとともに、学生たちの意識の変化も感じられた。

正門を入ってすぐの左側にある小ぶりの建物が工学部列品館、学生時代にはここで実験をしたこともある懐かしい建物で1920年の完成、右側が法学部3号館で1927年、それに続いて古めかしい荘厳な建物が左右にあるが、法文1号館・2号館で、1935年と38年の完成で、いずれも東大総長を務め、文化勲章を受章した内田祥三(よしかず)教授の設計で、ゴシック様式の建物である。

安田講堂は匿名者からの寄付で建設されたが、財閥の安田善次郎さんからであることが彼の死後に知られ、安田講堂と呼ばれるようになった。建物は1921年の起工だが、1922年の関東大地震による工事の中断を経て、1925年に竣工した。内田祥三教授と弟子の岸田日出刀教授が設計した。

これらの建物は、歴史的な価値が認められ、すべて東京都の登録有形文化財に指定され、大正・昭和初期の荘厳で重厚な建築様式を伝えてくれる。学生の頃は、法文1号館と法文2号館のそれぞれにあるアーケードを抜けて通学するのが大好きだった。世間とは一線を画した薄暗いアーケードを通り抜けるとき、ここが学問の殿堂だと感じたものだった。

安田講堂へと通じる道は、学問の殿堂とは程遠く、観光スポットになっていた。黄金色に輝く銀杏並木が見ごろということもあるのだろう、インスタグラムにでも載せるのであろうか、たくさんの観光客が撮影に興じていた。キャンバスに絵を描いている人々も少なからず見かけた。
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足元も落ち葉で埋め尽くされ、空間全体を黄金色にしていた。
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法文1号館と法文2号館の間も黄金色に染まっていた。
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重厚なレンガ造りの建物が悠久の時間へと誘ってくれるが、不思議な樹木の銀杏もこれに負けることはない。銀杏は広葉樹ではなく、針葉樹に近い。2億7000年という長い年月を生き抜いてきたとされている。日本には、中国から室町時代後期に伝来したとされる。ヨーロッパには、ドイツ人医師のエンゲルベルト・ケンペルが1692年に長崎から銀杏の種を持ち帰り、オランダのユトレヒトやイギリスのキュー植物園で栽培され、広まったとされている。またこのとき、銀杏(ギンコウ)の音訳を誤ってGinkgoとしたため、今日まで修正されずにこのスペルが使われている。

これから講演を聞く安田講堂の前も、同じように観光スポットになっていた。
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今回の講演は、今年度のブループラネット賞を受賞したジャレド・ダイアモンド教授とエリック・ランバン教授を招いてのものである。ブループラネット賞は、地球の環境問題の解決のために優れた研究をした人や、熱心に活動をしてきた人をたたえるために設けられた賞で、旭硝子財団が主催している。今年度が28回目で、旭硝子が早い時期から地球の環境問題に取り組んできたことは称賛に値する。

講演は、第一部がランバン教授、第二部がダイアモンド教授と分かれて行われた。それぞれが1時間半で、受賞者が30分ほど講演をしたあと、1時間ほど質疑応答が行われた。高校生や大学生、あるいは留学生からも、活発な質問がたくさん出され、最近の若い人たちが積極的であることに、驚かされるとともに、力強さを感じた。

ダイアモンド教授は、幅広い研究分野で活躍されている方で、「知の巨人」とも言われ、現在82歳。ピュリッツァー賞に輝いた『銃・病原菌・鉄』の著者でもある。彼が若いころにパプア・ニューギニアを学術調査しているとき、手伝いをしてくれた現地の人から「あなたの国は文明が発達したのに、私のところはどうしてそうならなかったのか?」という質問を受けたが、その時は応えられなかった。解答を見出すために長い年月を有したが、現地人の質問に対する答えがこの本である。

彼は、その他にもたくさんの本を出版していて、最近では『危機と人類』という本を出版した。英語のタイトルは刺激的で、”Upheaval(大激変)”である。講演の中で、「どの言葉を一番大切に考えていますか」という質問を受けたときに、「リスク」と答えた。パプア・ニューギニアのような原始社会では、誤って足の骨を折ってしまうと、一生歩行困難になってしまうので、リスクには細心の注意を払う必要があるとのことだった。この講演に、彼は奥さんを伴ってきていたが、仕事のために急ぎ帰国しなければならないということで、彼が話している最中に奥さんは抜け出した。彼はこれを引き合いに出して、「私はぎりぎりで空港に向かうようなことはしない。何が起こるかわからないので、何時間も前から空港で待つので、いつも家族に笑われている」と説明してくれた。

『危機と人類』の中で、彼は国家の危機について論じている。国家という複雑な組織は捉えにくいので、個人が危機をどのように乗り越えるかという視点を通して観察したらどうだろう、と提案している。彼の考え方に対して、Amazonのレビューの中に、個人の危機から国家の危機を捉えるのはどうかという意見があった。この意見は正しいのだろうかと感じたので、数学的な視点から考察を行ってみた。

国家は激変ともいえる大きな転換点を迎えるときがある。日本を例にとるならば、663年の白村江の戦で敗れたときや、1853年の黒船の来航だろう。白村江での敗戦の結果、律令制を導入することとなったし、黒船の来航により明治維新という大きな改革を行った。このような激変をどのように乗り越えたかを理解することは簡単な作業ではない。

一方、個人の危機の乗り越え方についてはどうだろう。東日本大震災があったとき、心に大きなダメージを受けた人に対して、心のケアの必要性が叫ばれた。専門の精神科医などの協力を得ながら、多くの人が危機を乗り越えたことだろう。米国では、個人が大きな心のダメージを受けたときに、その危機を乗り越えられるかどうかについての決め手は分かっているそうだ。そこで国家が危機を乗り越えられるかどうかを、個人の決め手を通して観察してはというのが、ダイアモンド教授の提案だ。

ダイアモンド教授によれば、個人的危機を乗り越えられるかどうかの決め手となる要因は12ほど知られている。それらは、「危機に陥っていることを認める」や「行動を起こすのは自分であるという責任の受容」などである。これらを国家のレベルに移して考えようというのが彼の提案である。例えば、先の二つを個人のレベルから、国家のレベルに移したとき、「国家が危機に陥っていることを認める」や「行動を起こすことへの国家としての責任の受容」などとなる。

12の要因に対して、個人のレベルから国家のレベルに移したときの対応関係を示したのが下図である。ここで青は個人、草色は国家である。この対応関係には、人を国に変えるだけで得られる類似的なものが7要因、一般化すると得られるものが2要因、類推によって得られるメタフォ的なものが3要因ある。もちろん個人にはなくて国家だけに存在する要因も7ほどある。
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ダイアモンド教授の手法は、よく知られている世界(空間)の構造から、解明されていない世界(空間)の構造を観察しようというもので、自然科学の分野ではよく利用される方法である。数学の分野で、これを担っているのは圏論なので、早速ダイアモンド教授の提案に応用してみよう。

数学の中で一番重要な概念は、「同じである」ことを数学的に表すことである。中学校に入ってすぐに三角形の合同や相似について学習するが、これがそうである。三角形の合同は、二つの三角形が重なり合えば同じということなので、とても分かりやすい。

数学ではこのような具体的な考え方を、だんだんに抽象化していく。例えば、二つの二次元物体があったとき、一つの光源からそれらに光を当て、それが作り出す影が同じになるならば、「同じもの」と見なすこともできる。これは射影幾何学よばれ、この世界では全ての三角形は同じものとなる。

さらに、近いものは近いところに移すという制限の下で、二つの物体の間で、それぞれの全ての点に対して、1対1の関係を得られれば「同じもの」と見なすこともできる。これはトポロジー(位相幾何学)とよばれ、この世界ではすべての多角形は同じものになる。

抽象化をだんだんに進めていくと、圏論という世界にたどり着く。ここでの「同じもの」は、少し難しい言葉だが、「随伴」と呼ばれる。圏論では、対象、射、結合、恒等射から成り立つ、圏という世界を扱う。

対象はメンバー(あるいは集合)と考えるとよい。例えば、学校のあるクラスを考えることにしよう。クラスを構成する生徒たち全員は対象となる。また女子生徒の集合も対象となり、男子生徒の集合も対象となる。さらにテニス部に属している生徒の集まりを対象にしてもよい。対象の決め方は自由で、圏にどのような性格を持たせるかによって決まる。

射は対象と対象の関係と考えればよい。射には方向性があって、ある対象からある対象へと写像される。写像する側をドメイン写像される側をコドメインと呼ぶが、射はすべてのドメインに対して定義されていなければならない。例えば、バレンタインチョコを送るという関係を考えたとき、全ての女子がある一人の男子にチョコを送らなければならないが、チョコをもらえない男子がいても構わないというのが射である。ドメインとコドメインは対象で、ドメインは対象全体であり、コドメインは対象の一部でも構わない。

ある射を施したあと、その結果に対して、別の射を施すことがある。例えば、バレンタインチョコをもらった男子のそれぞれに対して、所属するクラブを求めるなどがそれである。このようにコドメインの対象とドメインの対象が同じであるとき、二つの対象は結合できるというのが、圏に要求されている機能である。さらに、特殊な射として自分自身に移す恒等射がある。

圏と圏の間でも射が定義されるが、これは関手と呼ばれる。この関手を用いて、二つの圏が同じであるかどうかが定義されている。その定義は次のようになる。二つの圏\(\mathcal{C}\),\(\mathcal{D}\)があるとし(図で描くとき\(\mathcal{C}\)を左側に\(\mathcal{D}\)を右側にする)、\(\mathcal{C}\)から\(\mathcal{D}\)への関手を\(R\)(右に向かう矢ということで)、逆方向の関手を\(L\)とする。

\(\mathcal{C}\)の任意の対象\(A\)と\(\mathcal{D}\)の任意の対象\(B\)に対して、\(L(B)\)から\(A\)への射の集合(\(L(B)\)から\(A\)への射は通常は一つではなく、複数個存在する。このため射の集合と言う言葉を使う)と\(B\)から\(R(A)\)への射の集合とが1対1の関係にある時、\(\mathcal{C}\)と\(\mathcal{D}\)は随伴であるという。二つの圏が随伴であるとき、\(\mathcal{C}\)は\(\mathcal{D}\)よりも複雑な構造を有するが、\(\mathcal{D}\)の構造が全て\(\mathcal{C}\)では保持されているという意味で、同じであると見なしている。
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ダイアモンド教授の提案では、危機の対処法に対して、複雑な構造を有する方が国家で、簡単な方が個人である。そして、個人での構造が国家の中でそのまま保持されていると言っている。これを圏論で描いてみよう。

国家を圏\(\mathcal{C}\)とし、個人との対応関係がある要因の集まりを対象\( A=\{N1,N2,N3,N7,N4,N5,N8,N9,N12,N6,N10,N11\} \)とし、対応関係がない要因の集まりを対象\( A’=\{N21,N22,N23,N24,N25,N26,N27\} \)とする。

個人を圏\(\mathcal{D}\)とし、国家との対応関係がある要因の集まりを対象\( B=\{I1,I2,I3,I7,I4,I5,I8,I9,I12,I6,I10,I11\} \)としよう。また、国家との対応関係がない要因の集まりを\( A’=\{N21,N22,N23,N24,N25,N26,N27\} \)とする。また圏\(\mathcal{C}\)の対象\(A’\)の任意の要素\(n’\)は、圏\(\mathcal{C}\)の一つの要素\(Nothing\)から成り立っている対象に写像されるものとしよう。すなわち、\(R(A’)=\{Nothing\}\)である。

圏\(\mathcal{C}\)と圏\(\mathcal{D}\)の関係を表すと図のようになる。
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この図から対応関係を詳細に検討してみると、二つの圏が随伴となっていることが分かる。詳しい説明は省くが、\(\mathcal{C}\)には、対象として\(A\)と\(A'\)と\(L(B)\)がある。また\(\mathcal{D}\)には、対象として\(B\)と\(R(A)\)と\(R(A')\)とがある。\(\mathcal{C}\)と\(\mathcal{D}\)からそれぞれ任意に一つの対象を取り出し、これを\(X\)と\(Y\)とする。このとき、\(L(Y)\)から\(X\)への射の集合と\(Y\)から\(R(X)\)への射の集合とが1対1の関係にあることを示せばよい。あるいは、\(L \circ R (X) \rightarrow I_\mathcal{C} (X)\)と \(I_\mathcal{D} (Y) \rightarrow R \circ L (Y) \)が成り立つことを示せばよい。証明は省くが成り立つので、ダイアモンド教授の提案は正しいことが分かり、Amazonでのレビューでの懸念は必要ないこととなる。

ダイアモンド教授は、明治維新をもたらした具体的な対応がどの要因に相当するかを示しているが、それをまとめたのが次である。
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ダイアモンド教授が提案されている方法を用いて、白村江での戦いという危機を迎えたときの、天智・天武・持統朝での対応を分析すると面白いと思うが、それについては次の機会ということにしたい。