暮れにNHKスペシャル「ヒューマンエイジ 人間の時代 第5集 不老長寿」を見て、正直驚かされた。一つは、「人間の寿命や老いにどこまで介入してよいのか」という倫理的な観点から、もう一つは、生命科学がここまで来たのかという驚きである。番組の冒頭では、遺伝子操作によって二十歳近く若返ったとされる女性の事例が紹介された。あくまで研究段階の成果ではあるものの、熟年に差しかかろうとしていた女性が、働き盛りの活動的な姿へと変化していた点は強い印象を残した。もし彼女が再び中年期を迎えたとき、さらに若返る遺伝子操作を施すことができるのなら、永遠に若くいられるのではないかとさえ思わせる場面であった。
「永遠に生きる」ことは現実的ではないにしても、寿命が大幅に伸びた世界を想像すると、さまざまな感情が湧いてくる。組織で働く者にとっては「嫌な上司がずっと居座る」というネガティブな想像が先に立つかもしれない。一方で、素晴らしい伴侶と暮らしている人にとっては「この幸せが長く続くのは嬉しい」と感じるだろう。さらに、小説家のように人間の死を物語の源泉とみなす立場からすれば、死が遠のいた世界で何をテーマにすべきかという根本的な問いが生じるかもしれない。このように、寿命の延伸は万人にとって単純に祝福されるものではなく、立場や価値観によって期待と不安が大きく分かれる問題であることがわかる。
その一方で、科学技術の進歩には目を見張るものがある。DNAが遺伝物質であることが明らかになったのは20世紀半ばのことであり、その全ゲノム解読が可能になったのはごく最近である。生命現象に関する知識が飛躍的に広がり、遺伝子を切ったり繋げたりすることで生命をデザインできる時代が到来しつつある。ユヴァル・ノア・ハラリが述べるように、人類が神に代わって新たな種を生み出す未来が現実味を帯びてきた。さらに生成AIの急速な発展も相まって、私たちは、産業革命を超える規模の技術的転換点に差しかかっている可能性があるのではないかと感じさせられる。
こうした問題意識に刺激され、『LIFE SPAN 老いなき世界』を手に取った。この本は過去・現在・未来の三部構成で、最後の未来編では「老いなき世界」の是非が論じられている。著者はもちろん肯定的で、百歳まで病気をせずに健康に生きられる素晴らしい時代が到来すると力強く主張する。すなわち本書は、老いを「前提」としてきたこれまでの人生観そのものを問い直す試みでもある。
本書の核心は、老いを自然の摂理とみなすのか、それとも著者が主張するように「病気」と捉えるのかによって、私たちの視座が大きく変わるという点にある。
老いとは何だろうか。歳を重ねた人の顔には、艶が失われたり、シミや皺が増えたりと、若い頃とは明らかに異なる変化が現れる。人間の体は無数の細胞から構成されており、皮膚では古くなった細胞が垢として剥がれ落ち、新しい細胞へと入れ替わっていく。このように、通常は古い細胞が適切に排除され、常に新陳代謝が保たれている。しかし、何らかの理由で排除されずに体内にとどまってしまう細胞がある。これが「老化細胞」である。
では、老化細胞はなぜ生まれるのだろうか。人は転んだりぶつかったりして怪我をすることがあるが、その際に衝撃を受けた細胞は損傷し、内部のDNAも傷つく可能性がある。細胞はDNAの情報をもとに新しい細胞を作るため、DNAが損傷したまま分裂すると、誤った情報が子孫の細胞へ受け継がれてしまう。もしそれが癌につながる変異であれば重大な問題となる。このため、損傷を受けた細胞は自ら分裂を停止し、増殖しない状態へ移行する。これが細胞の老化である。怪我の治癒過程では一時的に老化細胞が必要とされるが、治癒後には免疫細胞によって取り除かれる。つまり老化細胞は、本来は組織の修復に役立つ生理的な仕組みの一部である。しかし、この「修復に役立つ細胞」が、長期的には別の顔を見せる。
細胞は分裂を繰り返すうちにDNAを正確にコピーできないリスクが高まる。これを防ぐため、DNAの端には「テロメア」と呼ばれる構造があり、分裂のたびに短くなっていく。テロメアが限界まで短くなると、DNAが不安定になるのを避けるために細胞は分裂を停止し、老化細胞となる。若い時期には免疫系がこれらの老化細胞を効率よく除去するが、加齢とともに老化細胞の発生量が増え、除去能力が追いつかなくなる。その結果、老化細胞は体内に蓄積していく。
老化細胞が身体に害をもたらさなければ問題はないのだが、実際にはそうではない。老化細胞は、自身が不要であることを免疫系に知らせるために、SASP(細胞老化随伴分泌現象)と呼ばれる反応を起こし、炎症性サイトカインやケモカインなどの因子を周囲に放出する。これらの因子は、ナチュラルキラー(NK)細胞、マクロファージ、T細胞といった免疫細胞を呼び寄せ、老化細胞を除去させる役割を果たす。しかし、加齢とともに免疫機能が低下すると、この除去機能が追いつかなくなる。その結果、老化細胞は組織内に蓄積し、慢性的な炎症を引き起こす要因となる。いわゆる「ゾンビ細胞」と呼ばれる状態であり、様々な疾患の発症リスクを高める。これが老化細胞の負の側面である。
このように老化細胞は、怪我や病気からの回復において重要な役割を果たす一方で、加齢に伴っては害を及ぼす存在にもなる。まさに功罪を併せ持つ細胞と言える。では、なぜこのような仕組みが生物に備わっているのだろうか。著者はこれを進化論的観点から説明している。人間を含む生物にとって、最も重要なのは長寿ではなく子孫を残すことである。人類史の大半において平均寿命は30歳前後と短く、怪我や感染症からの回復が、子孫を増やす時期の生存に直結していた。そのため、老化細胞が持つ「修復のための機能」が優先され、長寿における弊害は問題視されなかった。ところが、近代になって栄養状態や衛生環境が改善し、医療技術も飛躍的に発展したことで、人類はかつて想像もしなかったほど長生きするようになった。その結果、老化細胞の負の側面が顕在化したのである。言い換えれば、老化細胞は「短命な世界」では適応的だったが、「長寿の世界」ではリスクとして浮かび上がったのである。
では、長寿を健やかに享受するためにはどうすればよいのだろうか。鍵となるのは、死亡するまで健康な状態を保つことである。そのためには、加齢に伴って生じる老化細胞の発生を抑えたり、蓄積のスピードを遅らせたり、あるいは老化細胞そのものを若返らせる技術が求められる。これらの点については第二部で詳しく述べられている。医学の進歩とともに、これらの技術はさらに発展していくだろう。100歳まで健康に生きることが現実味を帯びるだけでなく、115歳に達する長寿さえも享受できる時代が訪れるかもしれない。
そこで、老化細胞を自然の摂理として受け入れるべきなのか、あるいは多くの疾患を引き起こす要因として“病気”とみなすべきなのかは、人生観や倫理観によって判断が分かれるだろう。医学は今後も進歩を続けるはずであり、老化細胞をどのように位置づけ、どこまで介入すべきかという問題は、まさにこれから社会全体で議論すべきテーマだと、この本を読んで強く感じた。私自身は、老いを全面的に否定するのではなく、その害の部分を緩和しつつ、どの段階まで介入を許容するのかを慎重に見極める姿勢が必要だと感じた。たとえば、重篤な疾患の予防や生活の質の維持を目的とする介入と、「若さ」そのものを無制限に追求する介入とを、どのように線引きすべきかといった問題である。