bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

古墳時代の始まりを告げる『纏向古墳群』

奈良盆地の東南部には、ゆるやかに盛り上がる丘状の地形が点在している。しかし、その多くは自然の造形ではなく、古代社会における権力の証として築かれた古墳である。弥生時代末期、唐古・鍵遺跡に営まれたムラが衰退すると、より複雑な階層構造を備えた「クニ(地域的政治共同体)」が形成された。その姿を今日に伝えるのが古墳であり、奈良盆地南東部に分布する古墳群は総称して「オオヤマト古墳群」と呼ばれる。この古墳群は規模や築造年代に基づき、纒向・柳本・大和の三つに区分される。

これら三者は単なる地域差ではなく、政治権力が発生し、体系化され、巨大化していく過程を示す連続的な資料群と理解されている。すなわち、纒向は萌芽、柳本は成長と構造化、大和は王権の成熟を象徴する段階といえる。以下に、それぞれの特徴を整理する。

① 纒向古墳群

桜井市纒向遺跡とともに成立した、日本最初期の前方後円墳群である。箸墓古墳に代表される巨大古墳を含み、従来の墳丘墓から一線を画す新しい首長墓体系の成立を示している。特徴的なのは、集落遺跡と古墳が同一空間に併存している点であり、祭祀・政治・交易が複合した広域的な中心地であった可能性が高い。纒向古墳群はヤマト王権成立期の政治統合と密接に関わり、邪馬台国論争とも重なる、日本古代史研究における核となる存在である。

② 柳本古墳群

天理市柳本周辺に広がる古墳時代前期の古墳群であり、黒塚古墳に代表される中規模から大型の前方後円墳が連続的に築かれている。三角縁神獣鏡や武器・武具類の出土は、当時の祭祀観念と軍事的威信を象徴する。古墳が龍王山麓に帯状に並ぶことから、特定の政治勢力がこの地域を継続的に支配していたことが推測される。柳本古墳群は、纒向段階で芽生えた首長制が制度化され、大和政権へと移行していく過程を示す重要な考古資料である。

③ 大和古墳群

奈良盆地東南部に位置し、古墳時代前期の政治中枢を象徴する巨大古墳群である。被葬者が崇神景行天皇と伝承される前方後円墳を含み、墳形・埋葬施設・副葬品体系に高度な規格性と統制が認められる。被葬者はヤマト王権の大王、あるいは最上位首長層と見られ、大和古墳群は政治体制の確立と古墳文化の成熟を象徴する。

この記事では、古墳時代の幕開けを告げる纒向遺跡群を見ていく。Google Earthで俯瞰すると、分布と空間構成がよく理解できる(左が北、右が南)。

画像右下に位置するのが辻地区建物群である。JR巻向駅近くの微高地に営まれた古墳時代初頭(3世紀後半〜4世紀初頭)の掘立柱建物跡が複数確認されている。最大規模の建物は東西12.4m×南北19.2mに達し、当時としては国内最大級であることから、広域的支配権をもつ首長の居館と推定される。また近接域からは祭祀土坑や大量の桃核を含む大型土坑が見つかり、政治と祭祀が深く結びついていたことを示す。

続いて纒向石塚古墳である。全長約96mの纒向型前方後円墳で、築造は3世紀前半〜中頃と推定される。終戦期に墳丘が削平され埋葬施設は確認されていないが、規模と配置から纒向古墳群形成初期の重要な位置を占める。

同じく全長約96mの纒向勝山古墳は、纒向古墳群の空間構成を理解する鍵となる位置に築かれている。

さらに全長約115mの纒向矢塚古墳では周濠が確認され、古墳の構造化が進む段階を示す。

そして、纒向古墳群の到達点として屹立するのが箸墓古墳である。バスの窓越しにその姿を捉えたとき、その巨大さと静謐さは圧倒的だった。築造は3世紀中頃と推定され、全長は約280mに達する。高度な築造技術と規模から、ヤマト政権成立期の象徴的王墓と位置づけられる。『日本書紀』はこれを卑弥呼の墓と解釈されうる記述を残すが、学術的確定には至っていない。ただし、纒向遺跡との年代・空間的連続性から、その関係性は今なお研究の焦点であり続ける。

古墳時代の開幕を象徴するこの景観を目にし、次は柳本古墳群——とくに黒塚古墳を訪れ、首長制がどのように発展したのかをたどることにした。