bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

地震崩落が守った古代の記憶――黒塚古墳を訪ねて

雲一つない晴れ空の下、古代に生きた人々へ思いをはせながら、古墳巡りを続けた。ここで、前回触れたオオヤマト古墳群について改めて整理しておきたい。この古墳群は奈良盆地東南部に広がり、古墳時代前期を代表する遺跡群である。築造時期は3世紀末から4世紀にかけてで、箸墓古墳・黒塚古墳・ホケノ山古墳・西殿塚古墳などが点在する。それらは纒向遺跡を中心とした初期ヤマト政権の成立と密接に関わっており、古墳の規模や副葬品の差異から階層構造が読み取れる。巨大前方後円墳を頂点とする政治秩序が整備されつつあったことがうかがえる。また、鏡・玉類・鉄製武具の出土は、当時の支配層が有していた権威や祭祀・軍事機能を象徴するものと考えられる。オオヤマト古墳群は、古墳文化成立期の王権形成過程を具体的に伝える重要な遺跡群である。

バスの窓越しに見えた箸墓古墳は圧倒的な大きさで、王権の威力が視覚的に伝わってくる。同時期か、あるいはわずか後に築造された黒塚古墳は、その規模こそ半分ほどだが、性格の異なる古墳である。黒塚古墳は地震で石室が崩落したため盗掘を免れ、埋葬当時の状態がほぼそのままに残っていた。副葬品の内容から当時の社会像を推測できるため、研究上きわめて重要な古墳の一つと位置づけられる。出土品には軍事に関わるものが多く、被葬者は箸墓古墳の被葬者とは異なる役割を担っていた可能性が高い。

次に、両古墳の特徴を概観しておく。

① 箸墓古墳 ― 古代国家成立を象徴する巨大古墳
箸墓古墳奈良県桜井市に築造された、日本でも最初期に属する大規模前方後円墳である。全長は約280メートルで、黒塚古墳の倍近い規模を誇る。宮内庁により倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓と伝えられ、古くから聖域として保護されてきた。周囲には濠がめぐり、墳丘とあいまって荘厳な景観を醸し出している。出土品は確認されていないものの、その規模・位置・歴史的背景を踏まえると、単なる墓ではなく、初期ヤマト王権の威信と祭祀性を象徴する存在であったと考えられる。

② 黒塚古墳 ― 武威と実力を示す首長墓
黒塚古墳は奈良県天理市に所在する前方後円墳で、全長約130メートルの中規模古墳である。内部からは三角縁神獣鏡33面をはじめ、鉄製武器・甲冑・玉類など多彩な副葬品が出土した。これらは、被葬者が軍事的・政治的役割を担っていた有力者であったことを示している。とくに鏡の大量出土は全国的にも稀で、黒塚古墳の象徴的な発見として広く知られる。

黒塚古墳をGoogle Earthで俯瞰すると、周囲を濠がめぐり、後円部の頂が平坦であることがわかる。前方部は植生に覆われ、輪郭はやや不明瞭である。

この地点は戦国期には中世山城として利用されていたらしく、『ニッポン城めぐり』では次のように説明されている。

元和元年(1615年)、織田信長の弟・織田長益(有楽斎)の五男尚長が分知によって柳本藩を立藩した。のち寛永年間に中世柳本城址に陣屋を築き、文政3年(1830年)には焼失。幕末には城主格となり、13代信及(のぶひろ)の代に明治維新を迎えた。

現在、古墳周辺は公園として整備され、天理市黒塚古墳展示館が併設されている。館内には石室復元模型や鏡のレプリカが展示され、当時の埋葬の様子を間近に見ることができる。展示室に入ると、原寸大で復元された竪穴式石室が訪問者を迎える。

この石室は古墳時代前期の構造をよく示す。まず地面を深く掘り下げ、その内壁に加工の少ない割石を積む。積み方には「内傾(ないけい)」と呼ばれる技法が採用され、上部ほど石材を内側へ寄せることで天井石の荷重を受け止める構造となっている。隙間には小石を充填し、天井は大きな覆石で覆われた。床面には礫敷きが施され、中央には木棺が据えられた痕跡が残る。埋葬後、入口は粘土や石で厳重に閉塞され、封土が盛られた。この堅牢さは遺骸保護の機能に加え、被葬者の権威を示す記念碑的建造技術ともいえる。内部には前述したように棺が据えられ、その周囲には三角縁神獣鏡を中心とする鉄製武具や玉類など、多数の副葬品が丁寧に配置されていた。また、被葬者頭部付近には、小ぶりの画文帯神獣鏡が配置され、他の鏡とは別格の扱いを受けていたことがうかがえる。

展示室上階からは石室全体を俯瞰できる。床面や棺周囲には濃い朱(辰砂)が確認される。朱は生命・再生・権威を象徴する特別な素材であり、大量使用は被葬者の高い身分を示す。

また、黒塚古墳では鏡のほか、鉄刀・鉄剣・鉄槍・鉄鏃・甲冑片、さらに勾玉・管玉・ガラス玉がまとまって出土している。これらは被葬者が軍事と祭祀の双方に関わる人物であった可能性を示す重要な資料である。とりわけ、三角縁神獣鏡の大量出土は古墳時代研究上の大きな鍵となっている。

黒塚古墳の墳頂部は平坦で、石室位置を示す標識が設けられている。埋葬施設は、竪穴式石室で、内法(内側の空間の大きさ)は長さ約 8.2〜8.3 メートル、幅約0.9〜1.3メートル、高さ約1.58〜1.7メートルで、石室の床面中央には、幅や形状から「割竹形木棺」が置かれていた。棺の復元サイズは長さ約 6.2 〜 6.3 メートル、直径(または最大幅)は約0.92〜1.01 メートルで、異常に長いことが分かる。

頂上からの眺望は、古代の首長が目にしたであろう景色を想起させ、時の隔たりを越えて迫ってくるようだった。

横から眺めると、後円部の量感に比べ前方部は控えめで、権威と実力の均衡を象徴するかのように静かに佇んでいた。

弥生から古墳時代前期にかけての遺跡巡りはこれで一区切りとなる。次の日は古墳時代後期から飛鳥時代へと移り変わる遺跡を訪ねる予定である。古墳時代中期の巨大古墳群は年明けに見学することになっており、その日を楽しみに待ちたい。