bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

斎藤幸平さんの『ゼロからの『資本論』』を読む

若いころは希望の国に思えたアメリカの昨今の厳しい分断を見ていると、どこかに構造的な欠陥があるのではないかと疑いたくなる。アメリカは、資本主義と民主主義とを最良の姿で実現した国と思われていた。しかし、今日大きくそれが揺らいでいる。19世紀に資本主義の問題点を指摘したのは、よく知られているように、カール・マルクスであり、そして、彼は共産主義を提唱した。それを推進したソ連や中国の政治体制に好意を抱けなかったため、私はいままで彼の著作物に触れることはなかった。

ところが最近、斎藤幸平さんが「資本論」を本やテレビで紹介したりしているのを知った。それもなかなかの評判を得ているようである。多くの人が、今日の体制に疑問や不満を感じて、解決策を人々は求めているためらしい。そこでこの機会に彼の本を一冊読んでみようという気になった。しかし、いきなり『資本論』は難しそうなので、まずは手軽な本ということで 『ゼロからの『資本論』』を読んだ。副題には「コミュニズムが不可能だなんて誰が言った?!」と刺激的である。それではさっそく内容に触れていこう。

資本論の中で重要な概念は「人間と自然との物質代謝」である。物質代謝は、生理学で使われる用語で「生体内で行われる化学変化」を表すが、マルクスはこれを人間と自然との間の営みに用いた。人間が他の生物と異なるのは、自然に対して積極的に働きかけることである。人間と自然との間が好循環であれば、両者はともに豊かになる。しかし、自然に対する働きかけが強すぎると、自然は破壊されてしまう。

今年の夏は異常に暑かったが、これは人間が排出する二酸化炭素の量が、地球が許容できるそれを超え続けたためだろう。マルクスは、人間が自然に働きかけをしているのは労働と考えた。人間が豊かに毎日を過ごせるためには自然が豊かであることが必要であるし、またその逆も真である。そのためには、労働は人間に対しても自然に対しても豊かさをもたらすものでなければならない。この観点から、資本主義という活動を検証しようというのがマルクス資本論である。注意しておきたいのは、ここでの労働という言葉は悪い意味ではない。狩猟採集民が木の実を採るのも動物を捕るのも労働であるし、農耕民が作物を植えて収穫するのも労働であるし、工場労働者が機械を回転させて製品を作るのも労働である。

マルクス資本論の中で、資本主義社会の「富」は「商品」という形で現れると言っている。物質代謝を説明する中で、人間も自然も豊かであるべきだと言ったが、そこでの豊かさと資本主義社会での富の間には考え方の違いがある。自然が豊かであるとは、緑が美しい森林や野原に恵まれ、きれいな水が流れている川などをイメージするであろうし、人間が豊かであるとは健康な体で健全な精神のもとにあることを意味するであろう。ともに情緒的・精神的な面が含まれている。これに対して資本主義的な生産体制が支配的になっている社会での富は、たくさんの商品の集まりとしてあらわれるとマルクスは言っている。富を商品としてとらえているために、資本主義での豊かさは即物的・実利的である。人間と自然の物質代謝の中での豊かさと資本主義のそれとの間に乖離があることから、そこに資本主義の問題点が現れてくるというのがマルクスの考え方である。

資本主義の問題点を論じるためには、資本主義とは何なのかを定義する必要がある。そのための準備として、資本主義以前あるいはそれ以外の体制でのモノの交換から考えてみることにしよう。いわゆる物々交換である。海外を旅行しているとき、フリーマーケットに出会うとワクワク感を味わう人は少なくないだろう。ガラクタと思えるものの中に、自分にとってはお宝と思えるものを見つけたときの喜びはひとしおである。フリーマーケットは、要らなくなったモノと必要なモノ、あるいは、飽きたモノと素敵なモノとの交換の場所である。そこでは、便宜的にお金を交換のための便利な道具として介在させることはあるが、基本的にはモノとモノとの交換である。すなわち、モノ→(お金)→モノとなり、心の安らぎを得ているだろうが利益を得ているわけではない。モノを$W$で表し、お金を$G$で表すと、フリーマーケットでのモノとモノの交換は、$W \rightarrow (G) \rightarrow W$となる。フリーマケットで交換されるモノは、使用する上でどれだけ助かるかという有用性を表す。ここでの有用性の度合いは使用価値と呼ばれる。

ところが資本主義では、最初に持っていた元手$G$を投資して、売れそうなもの(商品)$W$を作成したり移動したりして、それに儲けを上乗せして次の元手$G'$を得ようとする。すなわち、$G \rightarrow W \rightarrow G'$という運動になる。この運動をマルクスは資本と名付けた。要するに、資本とは金儲けの運動とした*1。商品としてのモノには、どれだけの価格で売れるかが重要なので、その度合いは(交換)価値と名付けられている。

資本という金儲けの運動が労働力を提供する人間を疲弊させてしまうとマルクスは言っている。このことを見ていこう。資本主義はすべてのものを商品化しようとする。資本主義の下で労働をしようとする人は、労働できる能力、すなわち労働力を商品として提供する。どのような仕事に従事するかは労働者の裁量に任されているので、仕事を選択する段階では労働者は自由である。しかし、労働力を商品として雇用者に提供したとすると、どのように労働させるかについての裁量権は雇用者に移ってしまう。労働者が作り上げた商品の価格と労働力への対価との差を剰余価値という。例えば、8時間の労働をして、10,000円の賃金を貰い、16,000円の商品を生み出したとする。この場合、賃金がこの労働者の労働力に対する対価である。そして、時間あたり2,000円の価値を生み出していることになる。すなわち、8時間の労働に対して、5時間分が賃金として払われ、3時間分は儲けとなっている。この儲けの分を剰余価値と言い、その額は6,000円である。

雇用者にとっては、商品としての労働力の価値を如何に抑えるかが課題となる。これにはこの仕事を誰にでもできる簡単な仕事にすることである。高度な技術を要する作業は、特殊な技能を有する専門家によって担われてきた。しかし、専門的で複雑な作業を簡単な仕事に分割することによって、多くの場合、誰もができる仕事にすることができる。このような場合には、労働者は仕事をとられてしまうという恐怖感から、無給での残業を厭わなくなる。さらに、勤勉でまじめな労働者の場合には、奉仕的に作業をすることで認めてもらおうとする意思が働き、無給での作業を自主的に行う場合もある。このような場合には無給での残業となり、結果として剰余価値を増加させる。例えば先の例の続きで、残業代が払われずに2時間の超過勤務をしたとすれば、時間あたり2,000円の価値を生み出すので、残業によりさらに4,000円の剰余価値を生み出したことになる。この4,000円は絶対的剰余価値と呼ばれる。

現代の社会ではイノベーションを起こすことが推奨されているが、それによって労働者の価値を下げることがある。例えば、ファストファッションやファストフードなどによって生活費が安くなり、10,000円の賃金が8,000円になったとしても同程度の生活ができるようになったとしよう。この場合には、賃金を下げることも可能であるし、正社員をアルバイトに代えることも可能である。これまでと同じように8時間労働し16,000円の商品を生み出したとすると、2,000円が新たな剰余となる。これは相対的剰余価値と呼ばれる。アルバイトには4時間分しか払っていないこととなり、4時間分が剰余価値となる。

モノつくりには、アイデアを生み出してそれを実現する楽しみがある。かつての職人たちは、アイデアから実現まですべての行程に絡むことができた。しかし、資本主義的生産形態では、頭脳を働かせてアイデアを生み出すのは経営者であり、被雇用者には肉体作業だけが残される。しかも、単純化された容易な作業である。さらに徹底されている場合にはマニュアル化されているので、モノつくりに参加しているという意識は起きない。逆に、モノつくりから外されているのではないかという疎外感を味わうようになる。ついには、人間がモノに振り回され支配されるようになる。この現象をマルクスは物象化と呼んだ。

労働者が疎外感を味わっている状況は、人間と自然の物質代謝に亀裂が生じていることを意味する。その改善策として各種の福祉政策が実行されている。しかし、ある程度はそれによって緩和されるものの、労働者の働きすぎるあるいは働かされすぎの状況が解決されるわけではない。大切なことは、労働時間の短縮を図り、自由時間を増やすことだとしている。

また、ソ連、中国、ベトナムキューバエチオピアなどのように、福祉を標榜し社会主義を掲げている国に対しては、資本家が党と官僚に変化しただけで、実体は資本主義なので国家資本主義としている。

マルクスは、資本主義は人間だけでなく、自然も蝕むと言っている。若いころのマルクス唯物史観(生産力を発展させていくことが、歴史をより高い段階へと進めていく原動力である)によりプロレタリア革命へと進むとし、『共産党宣言』によって人民の決起を促した。しかし、年齢を重ねるにしたがってその考え方を改め、自然と人間の物質代謝に亀裂が生じないようにすることが肝要であるとし、『資本論』の中で今日話題となっている環境問題について触れていた。資本主義のあくなき利益の追求が、有限である自然から無限に収奪しようとし、そのことによって自然そのものを破壊してしまうと警告していた。マルクスは、遠い先を見通し、重大な問題点を指摘していたと言える。

人間と自然との間の健全な物質代謝をどのように実現したらよいかについては、『資本論』の中で語られてはいない。しかし1990年代にマルクスの業績を総まとめすることを目的に、MEGAプロジェクトが実施された。このプロジェクトでは、彼の晩年に書かれた書簡やメモも含めてまとめられ、マルクスの晩年の考え方がわかるようになった。これをベースにして、この本ではマルクスがどのように解決しようとしたかを外挿している。一言でいえば、アソシエーション(自発的な結社)の実施・実行である。労働組合、協同組合、労働者政党、さらには、NGONPOなどがアソシエーションの例である。それは、ソ連のような官僚支配ではなく、人々の自発的な相互補助や連帯を基礎とした民主的社会である。別の言い方をすると、脱商品化に向けた運動である。そして、アソシエーションは、国有化のもとで官僚が決定する社会主義国家よりも、資本主義の下での福祉国家の考え方に近いとされる。

近年、労働組合が停滞し、アソシエーションが弱まる中で、国家の強い力を利用しての資本主義の改革案がいくつか示されている。ベーシックインカム(貨幣をみんなに配る)やピケティの税制改革(所得税法人税相続税を大幅に引き上げて大胆な再配分をする)や反緊縮派の現代貨幣理論(財政赤字でもインフレが起きない範囲で公共投資を行う)などがその例だが、これらは「資本のストライキ」(資本家への負担が大きくなり資本家が逃げ出してしまう)にあって、成功しないだろうと筆者の斎藤さんは考えている。

それではアソシエーションを見ていこう。その目的は私的労働(無計画な分業に基づいた商品生産)をなくし賃労働を廃棄することだとしている。そのためには脱商品化を目指し、コモン(みんなの共有財産)を増やして、労働者協同組合労働組合によって私的労働を抑制し、無限の経済成長を優先する社会から、人々のニーズを満たすための使用価値を重視する社会に転換することだとしている。このような社会では、過剰な広告や頻繁なモデルチェンジが不要になり、マーケティングコンサルタントのような使用価値を生まない仕事は削られるとしている。これらの仕事を削ったうえで、残った仕事をワークシェアすれば、労働時間は短縮し、自由な時間が増大すると夢を抱かせてくれる。さらには、ワークシェアの中には、賃労働と家事労働の区別も撤廃して含めなければならない。技術革新の成果は、無駄な商品開発に使うのではなく、労働時間の短縮と能力差を埋め作業をより平等に行えるようにする。

これらのことを称して、成長コミュニズムと言っている。そこでは、教育・医療・輸送手段などの無償化が行われ、食物、医療、書籍などがお互いの贈与でやり取りされるような社会になる。職業訓練デイケア子育て支援などが充実し、誰もが能力を全面的に開花できる社会になると考えている。各人の自由な発展が万人の自由な発展へと導くものをアソシエーションとしている。

どのようなことが実現されているのだろうか。例として、「市民電力(市民が出資して電気を地産地消)」や「シェアリング・エコノミー(インターネットを利用してモノやスキルをシェア)」などが挙げられている。これらの運動を斎藤さんは、新自由主義での「民営化」に対して「市民営化」と呼んでいる。ただし、「市民営化」が進んでも、財やサービスが貨幣を使って交換され続けるので、市場は残るとしている。

本の結論は、市場を否定しているわけではなく、コミュニズムでは(資本主義での問題点である)「構想と実行の分離」がなくなり、固定的な分業もなくなり、利潤追求のためにやみくもに生産性を上げて大量生産することをやめるようになる。そして、資本主義が生み出していた浪費、独占、民営化がなくなれば、社会の「共同的な富」は万人にとって「豊かに湧き出るように」なると称揚している。さらに、目指すものは、みんなにとって大事なものを、みんなで管理し、共有できる豊かさであり、全ての人が「全面的に発達した個人」として生きられる社会であると結んでいる。日本でも、2022年2月10日に「労働者協同組合法」が施行された。マルクスが思いついてから長い年月が経っているが、彼の思いが少しずつだがかなえられていると言えるのだろう。

読後感:今年の夏は異常に暑く、その暑さは9月も中旬になるというのにまだ続いている。気候変動を目の当たりにして、生命の危険を感じた人も多いことだろう。自然に対してこれ以上に収奪することは更なる気候変動をもたらすことは火を見るよりも明らかである。成長モデルとして優れていた資本主義の問題点が顕になり、早急に解決することが求められている。地球の環境を自然と人間の物質代謝とみたマルクスは卓越した理論を示してくれた。しかし、その理論を活かして、今日我々が抱えている問題を解決する策を見つける事は容易ではない。筆者の斉藤さんは、アソシエーションの実施・実行を解決策と見ている。本の中でアソシエーションの考え方については詳しく説明され、いくつかの例が述べられていたが、さらに踏み込んでアソシエーションによる問題点についても説明されていればさらに良かったと感じた。この本を読むきっかけとなった米国の分断はますますその混迷を深め、昨日行われた大統領候補のディベートでもその解決策は示されなかった。智慧を出し合って方策を見出していく時期だと思うのだが、簡単ではないようだ。

*1:元手を際限なく増やしていくという資本主義の本質と似ている戦略を歴史の中に見ることができる。中世のモンゴル帝国である。モンゴル帝国はある国を滅亡させると、滅亡した国の軍に新たな国を攻撃させ、成功するとそこに駐留させた。そして、新たに負けた国の軍を使ってさらに別の国を攻撃することで、領土の拡大を払った。領土には限りがあるので、いずれこの戦略は破綻することは分かり切っている。これと同じように、自然は有限なので、資本主義もいずれ破綻しそうに見えるがどうであろう。