bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

横浜関内の歴史的建築を訪ねる

9月1日は東京や横浜に住んでいる人々にとっては忘れてはならない日だ。94年前(大正12年)のこの日、関東大震災が発生した。地震の規模はマグニチュード7.9、東京・横浜の震度は6だ。発生した時間は11時58分、丁度お昼時だ。

震源地は相模湾で、震源に近かった横浜は東京よりも大きな被害を被った。当時の横浜市(市域は中心部のみ)の人口は約42万人で、全壊した住家は16,000棟、死者は23,000人であった。地震によって倒壊した家が多く、また、その後に生じた火災により死亡した人も多い。

防災の日に、神奈川県立歴史博物館が「横浜正金銀行と横浜関内の関東大震災復興建設をめぐる」という見学会を開催したので、それに参加した。現在の神奈川県立歴史博物館から山下公園までの震災後の復興に関連する建物を見学した。

神奈川県立歴史博物館となっている建物は、大震災の頃は横浜正金銀行本店の本館であった。
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この本館は、関東大地震では倒壊しなかった。付近では火災が発生し、それを避けるために、正門から100人、通用門から100人が逃げ込んだそうだ。13時には延焼から逃れるために鉄の頑丈な扉は閉じられる。建物の中には、行員140人と逃げ込んできた200人、合わせて340人が避難していた。

火勢は強く、本館の上階に火が入り、内部が燃え始めた。避難している人たちは上の階から下の階へ、そして、地下室へと逃げ込んだ。火事の熱で地下室はとても熱く、炊事場の桶に貯めてあった水を唇に浸すなどして耐えたそうだ。15時半ごろには1階まで火は広がったが、幸いに、地下室には延焼せずに16時半ごろには内部の火災は治まった。周辺も鎮火しており、外へ出たとのことだ。また、門扉が閉まった後に、本館に駆けつけてきた人々もたくさんいたようで、本館の周りにはいくつもの死体があったそうだ。

横浜正金銀行の本館は1904年(明治37年)の竣工で、設計者は妻木頼黄(つまき よりなか)である。彼は明治時代の3巨頭の一人と言われる建築家で、大蔵省をはじめとする数多くの官庁建築を手がけた。赤レンガ倉庫も彼の設計である。国会議事堂を設計することを望んでいたが、その夢は果たされなかった。

本館は古典主義様式である(古典主義は、ルネサンス建築、バロック建築新古典主義建築などの総称で、古代ローマ時代に建てられたオリジナルの建築の知識を発展、再構成した建築を言う)。コリント式の柱を巡らせ、大きなドームを持つネオ・バロック式の建築である。建物の高さは17mであるのに対し、ドームは19mもある。

隣にあるのが、旧川崎銀行横浜支店の建物だ。
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この建物は1922年(大正11年)に竣工している。関東大震災では被害を受けなかった。妻木の弟子である矢部又吉が設計した。ファサード2面を残して建て替えられている。元の建物は古典主義様式である。

次に見学したのは旧横浜銀行集会所である。現在は横浜銀行協会が利用している。
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妻木の弟子で国会議事堂を設計した大熊義邦と彼の娘婿の林豪蔵が設計し、1936年(昭和11年)に竣工している。銀行の建物は古典主義様式であった時代に、幾何学模様をモチーフにしたアール・デコ調のデザインを取り入れている。

横浜郵船ビルも1936年の竣工である。この界隈では、最後の古典主義様式の建物である。f:id:bitterharvest:20170902110901j:plain
コリント式のがっしりとした柱が特徴である。

さらに進んで、神奈川県庁に行く。
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何度か立て直しされているが、これは4代目の県庁である。1928年(昭和3年)の竣工で、コンペを行い一等当選案に基づいて設計された。古典主義を用いているが、細部では、スクラッチタイル張りの外壁や屋根の銅板による幾何学的な様式などアール・デコを取り入れ、新しい表現法に挑んでいることが感じられる。また、上部には和式の塔を戴いているのも特徴である。

県庁の内部にも面白い装飾がある。正面の階段の両翼に装飾灯がある。
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柱にも和風の装飾がある。
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4階の階段を上がりきったところにも装飾がある。
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戦前は、正庁だったそうだ。この装飾の反対側には天皇の御影が掲げられていたそうだ。

屋上に上ると、港や付近の建物を展望できる。
横浜三塔を見学する。キングの塔は、神奈川県庁の上にある塔である。
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クイーンの塔は横浜税関本関庁舎の塔である。建物はアール・デコである。
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ジャックの塔は、開港記念横浜会館の塔である。
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塔の下の建物は辰野式と呼ばれるフリークラシック・スタイルである。
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県庁の屋上からは象の鼻も見ることができる。
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幕末末期の開港に伴って、イギリス波止場が作られたが、その形が象の鼻に似ていたことから名づけられた。改造されてこのような形でない時もあったが、2009年に復元された。

最後の見学場所はニューグランドホテルである。
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震災の後に、外国人求まれるようなホテルということで、地元の有志が資金を出し合って開設したとのことであった。古典主義様式をとりながらも、アール・デコ調でまとめられたホテルである。丸みを帯びたコーナーには竣工年を刻んだ浮彫がある。

若いころからよく訪れたルートであったが、建築物にこれほど注目して見学したことはない。この時代の主要な建築様式を学ぶことができ、有意義な一日であった。