bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

小春日和のなか、上野寛永寺ゆかりの建造物を訪ねる

東京の冬は嫌いではない。しかし曇天ときには雨が多い今年の東京にはなじめない。そのような日が続く中、珍しく晴れた月曜日(20日)、新宿での午前中の用事を済ませたあと、トーハク(東京国立博物館)でも訪ねてみようかと山手線に乗り、スマホをくくっていたら、なんと休館という文字が目に入った。家とは反対の方向に進んでいるし、天気も素晴らしく良いので、このまま帰るのは損をしたような気になるので、上野の寛永寺ゆかりの建造物を訪ねてみようと新たな計画を立てた。

寛永寺は、日光東照宮増上寺とともに、徳川家の祈祷所・菩提寺であった。3代将軍家光により1625(寛永2)年に建立され、現在の上野公園を中心に広大な敷地を有していた。公園内には、歌川広重が描いた「東都名所、上野東叡山全図」のレリーフがあり、江戸時代の寛永寺の姿を知ることができる。左側の大きな建物が中堂、中堂を取り巻いている回廊前面の唐門が吉祥閣、中央の連結されている建物が常行堂・法華堂、右端にある建物が文殊楼。中央手前に先端だけが描かれているのが、五重塔である。
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ところが、幕末の1868(慶応4)年の彰義隊の戦い(上野戦争)でこの辺りは戦場となり、主要な建物は焼失してしまったが、周辺にあった五重塔、清水観音堂、大仏殿などが残った。

スマホの地図で場所を確認して、帰りの便も考えて、鶯谷駅で降り、上野公園に向かって散策することにした。
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鶯谷駅から芸大の方に向かって歩くと、その裏手のあたりに、根本中堂がある。これはレリーフのところで説明した上野戦争で焼失した本堂とは異なり、1879(明治12)年に、川越喜多院の本地堂を移築したものである。
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根本中堂内には、重要文化財に指定されている本尊の薬師如来、脇侍として日光菩薩月光菩薩が祀られている。

根本中堂から次の目的地の輪王寺までは、トーハクの壁面に沿って歩く。トーハクの正門に近づくころ、重要文化財に指定されている旧因州池田屋敷表門(黒門)に出くわした。江戸時代末期の大名屋敷の表門を移築したものである。
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トーハクの敷地は、寛永寺の本坊あとで、その入り口には本坊の表門があった。この表門は、関東大震災後のトーハクの本館改築に伴い、少し離れた寛永寺輪王殿に移建された。上野戦争での戦火を免れて現在に至っているが、門には多数の弾痕が残されているそうである。残念ながら近づいて確認することはできなかった。
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紛らわしいのだが、輪王殿の隣には輪王寺がある。輪王殿は葬儀式場で、輪王寺天台宗のお寺、通称「両太師」として知られている。江戸時代には、輪王寺寛永寺の伽藍の一部で、開山堂または慈眼堂と称せられていた。江戸時代前期より、法親王(皇族)が、寛永寺貫主天台座主、日光山(輪王寺)主の「三山管領宮」なったことから、貫主は「輪王寺宮」または「輪王寺門跡」と呼ばれた。

この寺を開山したのは天海(慈眼太師)で、天海を祀る開山堂が現在の輪王寺の敷地に建立された。また天海が崇拝する良源(慈恵太師)を祀ったことから、「両太師」と呼ばれるようになった。これらがこの寺にまつわる名前の由来である。
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なお輪王寺の裏手には趣のある僧院が立ち並んでいる。
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輪王寺に別れを告げて、上野公園の中にある上野東照宮へと向かう。東照宮は、藤堂高虎が家康からの遺言を受けて、上野の高虎の敷地に建立された。現在の社殿は、3代将軍の家光により改築されたもので、上野戦争関東大震災第二次世界大戦からの焼失を免れて、現在に至っている。どの観光地も同じだが、ここも御多分に漏れず、見学者のほとんどが外国からの観光客であった。
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境内では冬ぼたんが展示されていた。
暖かい小春日和の日を受けて、霜よけのわら囲いに包まれた冬ぼたんも心地よさそうだ。
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黄色の冬ぼたんも見事に咲いていた。かすかな香りがあるとの説明があったので、鼻を近づけてみたが期待は裏切られた。
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ぼたん苑から見る五重塔も青い空を背景にして落ち着きのあるたたずまいを感じさせてくれた。ぼたん苑の華やかな彩りの傘が、小春日和の陽光を浴びて、まだ来ぬ春を一層待ち遠しくさせてくれた。
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苑内には黄梅も咲いていた。こちらの方は、そばを通り抜けたときに、香ばしいかおりを感じた。
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次に上野の大仏を訪れる。地図を見たときに上野に大仏などあったかと不思議に思って立ち寄ってみたのだが、なんと顔の表面だけであった。
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この大仏は、1631(寛永8)年に、越後村上城主の堀丹後守直寄によって、戦国時代の戦乱によって倒れた敵味方の供養のためにこの高台に建立されたが、それ以降の地震や火災によって災難に遭い、関東大震災ではついに顔が落ちてしまい、そのあと復元されることなく現在に至っているとのことであった。余談だが、「これ以上落ちない合格大仏」として広く信仰を集めているとのことだった。

大仏のあった高台から降りて、トーハクの方を見渡してみる。
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寛永寺の敷地がいかに広かったが分かる。写真の後ろの方には清水観音堂が、また不忍池の中ほどには不忍池辨天堂がある。これらも戦火を免れた建造物である。お腹が空いてきたので、昼食をとるために、今日の散策はここまでとして、上野公園をあとにした。

なお国会図書館のデジタルコレクションには、江戸名所図会があり、26コマ以降の寛永寺の本文と挿絵を見ると、当時の様子を知ることができる。

思いがけずの観音寺周辺の散策となったが、タイミングよくぼたん苑を訪れ、咲きそろった冬ぼたんを鑑賞することができ、黒木華主演の映画「日日是好日」でのお茶の域には及びもしないが、似たような体験を味わうことができ、得をした気分になっての家路であった。