bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

あつぎ郷土博物館で「企画展 人形とともにー相模人形芝居の50年ー』を見学する

小学校の6年生ごろ、社会科の授業の一環だったのだろう。大きくはない講堂に集められて、文楽を観劇させられたことがある。三味線を伴奏に、大夫が節をつけながら語り、黒子に操られて人形が演ずるという古典芸能である。話の筋は分からなかったが、操られている人形の動きが面白く、今でも思い出せるほどの強い印象を与えてくれた。

先日、雑談をしているときに、神奈川県の西部に人形劇が残されていることを聞いた。江戸時代後半には、近松門左衛門竹本義太夫によって、江戸で人形浄瑠璃が隆盛した。しかし明治時代になると、洋風化や歌舞伎の興隆によって衰退し、人形遣いたちは関東一円に散らばった。人形浄瑠璃は、三味線に合わせて節をつけて歌う浄瑠璃(義太夫節とも言われる)と、人形を操って演じる人形芝居とで成り立っている。神奈川県西部では、その頃義太夫節が盛んで、それを演じる機会も欲しかったものと思われるが、村の有力者が、江戸の人形遣いたちを人形操法の師匠として招き、さらには村に定住させるなどして、地域での伝承に努め、今日に至っているようである。

昔ほどの勢いはなくなったが、今日では相模人形芝居は五団体によって演じられている。そのうち三座は国の、残りの二座は神奈川県の無形文化財に指定されている。人形は三人によって操られる。顔の動かし方にもいくつかの流儀があるようで、相模では鉄砲ざしという方法がとられている。

グーグルで調べたら、あつぎ郷土博物館で相模人形芝居の展示をしているということだったので、見学に行った。
入り口に飾ってあった頭と人形


展示室。様々な顔

衣装と頭

頭の作り方

三人遣いの様子

人形芝居のためのメモ書き

人形芝居の舞台模型

この日は、文化庁の調査官だった齊藤裕嗣さんが「国指定重要民俗文化財・相模人形の今後」という題目での講演があり、これを聴くことも目的の一つであった。話から、相模人形芝居を維持していくことの大変さがよく理解できた。①大人数の観客を入れての興業は人形の大きさからいって困難であること、②人形の衣装は麻や絹で作られているが、現在ではとても高価になっていること、③人形遣いを持続的に養成していくことが困難なこと、④演目が近松門左衛門の頃のもので若い人には魅力的でないことなどをあげられていた。一方で、NHKの「ひょっこりひょうたん島」や「三国志」のように人形劇が人気を博したこともあったので、工夫次第の面もあるとも話されていた。

人形浄瑠璃は、義太夫節太夫、三味線を弾く三味線方、人形を操る人形遣いからなるが、相模人形芝居は、人形遣いだけがメンバーで、大夫と三味線方は依頼している。人形遣いの方々も高齢化を迎えているようで、若い人への継承が課題となっているようだが、メンバーの方々の工夫次第ですというのが、今回の講演のまとめであった。何処も同じという状態だが、義太夫に興味を持つ人も少ないだろうし、人情噺も魅力的ではなくなっていくだろうから、伝統をそのまま残すことの難しさを改めて認識した一日であった。